一日一文の習慣を再開したことで,私がどういう人間で,どういうことやってきたか,だいぶ伝えやすくなったと感じている。
ブログでもウィキでもない“デルン”という全く新しい情報媒体を開発,自らそれを9年も使って SNS でもなく“KNS”だと言う。“希哲館事業”で日本を世界史上最大の極大国にすると言い放ち,“希哲紀元”や“希哲館訳語”なんてものまで造ってしまう。
ほとんど環境のおかげなので威張れたことではないが,世界を見渡しても,ここまで風変わりなネット用者はいないだろう。それも,実名・顔出し,同質性が高いなどと言われる日本生まれ・日本育ちの日本人であることまで考えると,自分でも驚異的な事実だなと思ったりする。
希哲館は燃えていない
しかし,良くも悪くも希哲館事業には話題性が無い。良い意味で注目されたことも無いし,炎上したこともほとんど無い。良い悪い・好き嫌い以前に,「伝わっていない」のだ。これは誤算と言えば誤算だった。
昔の希哲館事業には秘密主義的な部分があったので,むしろ注目されては困るとすら思っていた。これから事業について知ってもらおうという段階になって,はじめてその伝わらなさを実感した。
ネットの変化
この誤算がなぜ生じたのかと考えてみると,私自身が200X年代前半くらいまでのインターネット文化に染まっていた,ということがありそうだ。
当時のネットの中心にいたのは研究者や好事家,あるいは「暇人」と呼ばれる人達だった。彼らは,世界中の珍しいもの,刺激的なものを常に探していた。私もその一人で,湯水のように持て余した時間を,「より面白いもの」探しに費していた。
そんなネット献典も,あまりに時間があるとほとんど見尽くしてしまう。その退屈をしのぐために,自分で誰もやらないことをやってみたくなる。どうせなら,「世界一“面白い”ネット献典」を自分で作ってやろう……思えば,希哲館事業にはそんな側面があったかもしれない。
時代は変わった。いまやネット用者の大多数が「普通の人」だ。普通に学校や会社に通い,わずかな自由時間にネットを覗く。
ネットにおける「面白さ」も変わった。それは珍しさや刺激ではなく,気軽に楽しめることであったり,皆でイジって遊べることであったりする。一人で PC に向き合うのではなく,「共有」が重要になったことも大きいのだろう。
これは何だろう,この人はどういう人だろう,という所で少しでも時間がかかると,あっという間に埋もれてしまう。自分が面白いと思えても,みんなに面白がってもらえることが期待出来ないと広がらない。「文脈」も邪魔で,話題は一口サイズでなければならなくなった。Twitter が強力なわけだ。
嘆いていても仕方ないので,希哲館事業もこの時代の変化に合わせなくてはならない。デライトはそんな意識から始めた望事でもあったが,多くの人に楽しんでもらえるものにするには,まだまだ努力が必要だ。