私には,誉められて嬉しいと思った記憶がほとんど無い。誉められるのは,どちらかといえば苦手なくらいだ。先日の一日一文では私の独特な金銭欲について書いたが,これは私の独特な名誉欲の源かもしれない。
なぜ誉められても嬉しくないのかと考えてみると,そもそも幼い頃に自尊心が完成されてしまっていた気がする。自尊心に欠けているところが無いので,いわゆる承認欲求的な感情も無い。
誉め言葉をもらっても,すでに満杯の器に余計なものを注がれているような感覚で,こぼれたのを拭くのが面倒になる。それが社会的行為である以上,例えば,謙遜して見せなければならないとか,こちらも社交辞令で返さなければならないとか,新しく得たものも無いのに“対応”を求められるわけだ。
私の SNS 嫌いもこんなところから来ている気がする。好意的な反応をもらうことはもちろん「ありがたい」と思うし,仕事であれば必要なことでもあるが,個人的な心情としては嬉しさより面倒臭さを感じてしまうことが多い。
誉められて嬉しくないのだから,貶されて悲しいこともない。むしろ,他人が顔をしかめるようなことをしていた方が,自由を感じることが出来て面白いとすら思っていた。
子供の頃からこんな性格だが,大人になってからも,名誉ある地位に就きたいとか,ナントカ賞が欲しいとか,テレビやネットで有名になりたいとか,そういう感情を抱いたことが無い。
日ごろ私の活動を見ている人なら納得出来るのではないかと思う。希哲館事業は,誰の肯定も神託も必要とせずに自分のやることに絶対の確信を頂き,この上ない充実感を得て生きる人間がここにいる証拠なのだ。
私には,自分で作った「初代希哲館執務長」が,どこの国の君主や首脳の肩書きよりも,ノーベル賞よりも名誉に感じられる。だからこれ以上の名誉は一切不要だ。
これも病気といえばそうかもしれないが,SNS などの発達で,名誉欲や承認欲求に人生を狂わされる者が無数にいることを考えると,「健全」とは何か,考えずにはいられない。
そんな私にも,人生で一つだけ,誉められて嬉しかったことがある。
恐らく4歳か5歳頃だ。保育園で,紙とはさみを使って工作のようなことをしていた。何か工夫をして,上手いこと出来たな,と思った時,保母さんが「ひろくんはアイデアマンだね」と言った。この時のことがなぜかずっと,鮮明な記憶としてある。そして定期的に思い出す。
当時の私に「アイデアマン」という言葉の意味が分かったとも思えないが,自分は何か工夫をすることが得意なんだな,ということくらいは体験として分かっただろう。もしかしたら,言葉が分からなかったから印象的だったのかもしれない。これもカセット効果という奴だろうか。
その後,私は,トーマス・エジソンに憧れたり,信長でも家康でもなく秀吉が好きな少年に育っていく。子供ながら,発明とか発想の力に価値を感じていたのだろう。
そして17歳の頃に輪郭法を閃き,デルン・デライトを開発して今にいたる。確かに,これ以上価値あるものが今の私には想像出来ない。
頭が良いと誉められて学校の勉強を極めても,運動が出来ると誉められてスポーツの世界に行っても,容姿が良いと誉められて見た目を売りにするような世界に行っても,もちろん,喧嘩が強いと誉められてヤクザな道に入っても,今の私にはならなかっただろう。
私にとって最高の誉め言葉があるとすれば,やはり「アイデアマン」以外考えられない。この文章を書きながら,三十年来,心のどこかに引っかかっていたものがようやく腑に落ちた。