dlt.kitetu.com
}{デライト2周年}{難}{一段落}{一編}{研究}{話}{今}{形}(600)デライトは,今年の2月13日に2周年を迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書くと書籍数冊分くらいにはなる話だ。デライトの完全な成功を目前にした良い頃合いなので,駆け足で振り返ってみたい。
技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学と情報学への関心から「輪郭法」を閃いたことに始まる。2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法の応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念を中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付けの概念だ。
このアイデアが,哲学上の理論に留まらず,極めて実践的で,極めて強大な技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年の最重要課題を解決し,知能増幅(IA)技術の実用化につなげることが出来る(参考)。すでに IT 産業の勢いが明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた。
さらに,アメリカ同時多発テロ事件が起こって間もない頃だ。後の英米政治危機,世界に広がる社会分断,SNS の暴走,そして目下のウクライナ侵攻を予感させる事件だった。
あらゆる争いの背景には,世界の広さに対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた。我々は,世界の一部分をそれぞれの立場から見ているに過ぎない。立場が違えば見える世界も違う。その衝突を回避出来るとすれば,個々人の世界に対する視野を広げるしかない。輪郭法の応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方が現在の KNS という概念につながっている(参考)。
この閃きは止まるところを知らなかった。17歳の少年の人生観も世界観も,何もかもを瞬く間に作り替えてしまった。この閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和と豊かさをもたらす鍵を手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった。能う限り最高の状態で世に出さなくてはならないと思った。
もちろん最初は,とんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい。少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧に苦しむようになった。
理論や技術として完成させられるかどうかは時間の問題だと考えていた。本当の問題はその先にあった。地動説にせよ進化論にせよ,世界の見方を大きく変える考えには無理解や反発が付き物だ。常識を越えた考えであればあるほど,その壁は大きくなる。どれだけ努力しても,死ぬ前に認められることはないかもしれない。当時の私は,エヴァリスト・ガロアのように生涯を閉じるのではないかと想像していた。偉大な発見をしながら夭折し,死後何十年も経ってようやく評価された数学者だが,なんとなく親近感を覚えていた。
そして,技術は良い方にも悪い方にも利用されるものだ。これが「世界初の実用的な知能増幅技術」になるとすれば,最初に使うであろう私は「世界初のトランスヒューマン(超人間)」になる。全人類の模範となって,人々を未踏の領域へと導く……自分がそんな重責を担える人間だとは,まるで思えなかった。能力はともかく,昔から自分の人間性を全く信用していなかった。
無論,そんな自信は20年ほど経ったいまでも無い。それでもここまで来たのは,曲がりなりにも出来そうな人間が自分以外にいなかったからだ。何もしないよりは,挑戦して失敗例を残す方が良い。それに,一度ここまでのことを考えた人間が,何食わぬ顔で平凡に生きていけるわけもなかった。
色々な葛藤を乗り越えて,2007年,22歳で「希哲館事業」を始めた。輪郭法を応用した知能増幅技術の開発・管理・普及活動を中核として,知による産業革命と知による民主主義の確立を目指す事業だ。
「希哲館」というのはこの事業の中心となる機関として構想したもので,その名は「哲学」の元となった「希哲学」という古い翻訳語にちなんだものだ。
「知を愛すること」を意味するフィロソフィーを「希哲学」と昔の人が意訳し,それがいつの間にか「哲学」として定着したわけだが,日本語で哲学というと,思想家や学者など一部の人のもの,という語感がある。実際,誰もが賢哲にはなれないだろう。しかし,誰でも「希哲」(知を希求する人)にはなれる。これからの時代に最も重要で,万人が共有出来る価値観を表現する言葉として,これ以上のものは見つからなかった。
情報技術を中心に知識産業が絶大な力を持ち,その反動からいわゆる反知性主義が世界中で社会分断を招いている今,この観点への確信は当時以上に深くなっている。
見ての通り,希哲館事業の一環であるデライトは当初から意図的に dlt.kitetu.com
というドメイン名で運営している。それも背景を踏まえればごく自然なことだが,利用者には分かりにくいことだった。今後,こうして説明する機会も増やしていきたい。
事業開始後間もなく,運が良いことに裁量の大きいシステム開発の仕事を得られたりして,それを足掛かりに技術的な蓄積を進めていった。
そして,2012年,26歳で輪郭法応用技術「デルン」の実用化に成功した。輪郭法は英語で〈delinography〉としていたので,それを縮めて〈deln〉とした。ウィキともブログとも異なる全く新しい CMS であり,おかしな語感もこれらにならった(参考:「デルン」の由来)。
しかし,世に出すことをすぐには考えられなかった。なんとか使えるようになっただけで,製品としては難が多過ぎたし,市場戦略や知財戦略も全く固まっていなかった。構想の大きさが大きさだ。万が一にも失敗は許されない。可能な限り技術としての完成度を高め,万全を期して世に出す必要があると考えていた。
それまでは,デルンそのものを製品化するのではなく,背後でデルンを利用したサービスで資金稼ぎするつもりだった。結局そう上手くは行かないまま,デルンと周辺技術の開発,応用法の研究,希哲館事業構想の体系化といったことに時間を費す生活が続く。
デルンを世に出す準備を始めたのは,実用化からさらに5年ほど経った2017年のことだった。私は32歳になっていた。
諸々の調査・研究・開発が一段落したところに,ブレグジットやトランプ当選などを巡り社会分断が世界中で顕在化した頃だった。特に着目したのは,その背景に SNS があったことだ。デルンによって SNS を知的交流の基盤に拡張する──長年温めていた KNS(knowledge networking service)構想を活かすならここしかないと思った。
それから1年ほどかけ,デルンの製品化に向けての検討を重ねた。2018年,最終的に,誰でも簡単に使えるメモサービスとして公開することに決めた。これが,ライト版デルン(Deln Lite),「デライト」(Delite)の始まりだった。
あとはひたすらサービス公開に向けた作業に没頭し,2020年2月13日24時15分,ついにデライトという形でデルンが,ひいては輪郭法が世に出ることになった。
ただ,後に「名目リリース」と呼んだように,積極的に人に見せられる出来ではなかった。公開はしていたものの宣伝はほとんどせず,改良を続けてなんとか最低限の品質になったと判断出来たのは同年8月13日のことだった。これを「実質リリース」と呼んでいる。私は35歳だ。
不完全な形での公開に踏み切ったのは,ソフトウェア開発において「完璧主義」が仇となりやすいからだ。不完全でも早く世に出して修正を繰り返した方が良い。そしてこれは正しかった。ソフトウェア開発では常識に近いことで,私も頭では分かっていたが,実は半信半疑だった。
実際,デライトに多大な貢献をしてくれている常連利用者の2名は,名目リリースから実質リリースの間に使い始めている。内心,誰も使わないだろうな,と思いながら一応公開していたわけだが,予測は良い意味で裏切られた。
デライトの公開からは,本当に,本当に,色々なことがあった。あまりに色々なことがあり過ぎて,時間の感覚もおかしくなっている。わずか2年前が大昔のようだ。とてもではないが,ここには書き切れないし,今はこれ以上書く気にもなれない。そもそも読み切れないだろう。
ただ,確かなことは,奇跡のように素晴らしい時間だった,ということだ。理解ある利用者達とともに,夢と希望に満たされて,デライト開発は快調に進んできた。“デライター”達への感謝はまた別の機会にしっかり綴るつもりだが,本当に皆のおかげだ。
近頃,私は「デライトの完全な成功」という表現をよく使っている。「デライトの成功」と目標を表現することに違和感を覚えるようになったからだ。成功していないと言うには,あまりに上手く行き過ぎているのだ。
今のデライトは,利用者が十分に集まっておらず,それゆえに十分な利益も上がっていない。ただ,それを除けば,ソフトウェア開発プロジェクトとしてほとんど理想的な状態にあると言っていい。ことインターネット サービスというのは,どれだけ人気があっても売上があっても,それぞれに様々な問題を抱えているものだ。デライトには,集客面以外で問題という問題がない。
本格的に集客出来るようになれば,鬼に金棒,完全無欠,つまり「完全な成功」というわけだ。その最後の課題である集客面でも,最近は改善の兆しがある。デライトは,“世界史上最大の成功”に王手をかけている。
生きている内に日の目を見ることはないかもしれない,などと考えていた出発点を思えば,やはり奇跡としか言いようがない。
何より,私はまだ37歳だ。それも,この技術に20年の時間を費した経験を持つ37歳だ。事故や病気でもない限り,あと50年は持ち堪えられるだろう。駄目で元々。命ある限り,私が諦めることはない。
デライトは4月29日から四度目の宣伝攻勢に入っている。この「一日一文」もその一環だ。
本来,一日一文は,その名の通り毎日一編の文章を書こうという日課なのだが,たまに何気なく重い題材を選んでしまい,筆が進まなくなることがある。今回も,5月半ばに何気なく書き始め,書き上げるのに2ヶ月以上かかってしまった。
20年の歴史をちょっとした文章にまとめるのには,流石に精神力が必要だった。無数の想い出を行間に押し込んで,無理矢理まとめた。
デライト開発が正念場を迎えているので,今後も頻度には波があるだろう。気長に待っていてほしい。
昨日それなりに精神力を使ってしまったので,半休にした。事務的な用事を片付け,組計調整も出来,デライト宣伝でも良い手応えがありと充実していた。
引き続き6月の新生デライト完成を目標とするが,不測の事態も想定し7月まではゆとりを持たせることにした。いずれにせよ,新生デライトの完成が完全なデライトの成功に直結する状況だ。十分な宣伝をしつつ,この期間で確実に新生デライトを完成させられるかどうか。その時間配分に全てがかかっている。
黄金週間の総括は,ちょっとした時間でまとまりそうにないので,いったん断念することにした。そのうち振り返ることもあるだろう。
これまでの献典の課題を解消するような新しい文体が出来たこと,それにより自分の中でデライトの現実感がぐっと増したこと,その背景に希哲館訳語なども含めて希哲館事業構想全体の円熟があること,デライト一夜革命に向けた本格的な「伐木」が始まったのだということ,等々,短い間に色々な思いや気付きがあった。いま文章にするには複雑過ぎる。
初めてこの心境の変化に気付いたのは夢の中だった。あのひどい悪夢は,大惨事が起こる直前まで,最近の変化をこう前向きに考えるようになったという良い夢だった。潜在意識が心境の変化を敏感に捉えていたのだろう。
一日一文の新しい文体は自然にツイストにも影響していたが,今後は一日一文・ツイストの文体を意識的に統一することにした。これまで,いわば「深層の文体」中心でたまに「表層の文体」を使う程度だったが,「中層の文体」が加わり,これからは表層・中層の献典の厚みが増していくだろう。これこそ「伐木」だ。
この日も調子がやや不安定だった。というより,頭が冴える時間帯が遅い方にずれてしまっている。一昨日以来,遅い時間になって一日一文の執筆がやたら捗る,ということが続いている。
一日一文ではデライトの本質に迫る良い文章が書けていたが,24時を過ぎたところで生活律動矯正のため中断した。時間を惜しむ内容でもなくなってきたので,じっくり書くことにした。明日はちょうど定休日なので調子を整えたい。
第四次宣伝攻勢は想像していたより静かな始まりだが,デライトの成功にはむしろぐっと迫った感覚がある。一昨日,昨日,今日と,滅多に書かなかった一般向けのまとまった文章を書いてみたことで,大きな心境の変化が起こっているようだ。デライトについて深く理解してもらうための手段の一つとして書き始めたものの,自分自身がデライトを過小評価していたことに気付かされた。
これまでの,希哲館訳語などを多用した独特な文章では,全体的に浮世離れし過ぎて,デライトもどこか現実感のないものに見えてしまっていたのだろう。それが,こう平易な文章で表現してみると,デライトが実現していることのとんでもなさが,現実と地続きにあることのとんでもなさと相俟って,一回りも二回りも強烈に感じられる。
いまデライトでは,例えば世間で騒がれているイーロン・マスクの Twitter 買収どころではないことが起こっているわけだ。この,世にも奇妙な静けさが,かえってデライトの成功のイメージを増幅させている。それこそ一夜城のように。
デライトは,黄金週間初日となる明日29日,4度目の宣伝攻勢(第四次宣伝攻勢)を始める。これを機に,中断していた「一日一文」の日課も再開することにした。
デライトはいま,包括的な改良構想によって「新生デライト」に生まれ変わろうとしている。今回の宣伝攻勢のコンセプトは“新生デライト開発実況”だ。この一日一文も含めて,開発状況や開発者の考えなどについて積極的に発信していきたい。
3度の宣伝攻勢から得た教訓は色々とあるが,4度目の宣伝攻勢を目前にしてつくづく感じていることは,結局,やってみなければ分からない,ということだ。
ソフトウェア開発をやっていると,ここが悪い,あそこが分かりにくいなどといったことばかり考えてしまいがちだ。とりわけデライトは新奇に見える代物なので,開発者も利用者も,“デライトの問題点”について考え込み過ぎる嫌いがある。
問題点を地道に改善していくのは当たり前のことだが,問題点ばかり見ていると,「問題があることが問題」であるかのような錯覚に陥りがちだ。問題のないソフトウェアなど存在しないので,これは「木を見て森を見ず」の罠でもある。広く使われている全てのソフトウェアは,それぞれに問題を抱えながら,それぞれの役割を果たしている。その全体像を見ずに問題の大きさを正しく見ることは出来ない。
そもそも,使いやすい UI,分かりやすい文書……などと全てを兼ね備えた優等生的なソフトウェアが世の中にどれだけあるだろうか。使いにくかろうが分かりにくかろうが,バグだらけであろうが,“使う必要”があれば使われる。それが現実だ。ツールも文書も,必要ならユーザーが作り始める。昔からそうやってソフトウェアは共有されてきた。
そこに革新性があればなおのことだ。誰でも戸惑いなく使える革新的なソフトウェア──そんなものは夢の中にしか存在しない。デライトがそうであれば,私はとっくに世界一の有名人にして世界一の大富豪になっている。冷静に考えれば馬鹿馬鹿しい話だが,知らず知らずのうちにそれに等しいことを考えてしまうのが認知バイアスの怖さだ。
デライトを普及させる上で最大の課題,換言すれば,最も手っ取り早い道筋は何かといえば,デライトが目指していることを理解してもらい,共感してもらい,必要としてもらうことに他ならない。またこういう文章を書き始めた理由だ。
デライトは,よくあるメモサービスに出来るだけ近付けた知能増幅(IA)サービス,名付けて「知能増幅メモサービス」だ。一時期,「最も使いやすいメモサービスを目指す最も使いやすい知能増幅サービス」と表現していたこともあるが,研究室臭いものになりがちなこの種のソフトウェアとしてはすでに驚くほど簡易的で,その点の達成度は決して低くないはずだ。
とはいえ,全く新しい領域を目指している以上,新しいやり方を理解して慣れてもらうしかない部分はどう頑張っても残る。デライト初心者が戸惑いがちなところは,デライトの目的のためにあえてそうしていることが多い。多くの人にとっての分かりやすさだけを基準にして最終的に出来るのは,微妙に使いにくい,よくあるメモサービスだ。レーシングカーの難しさだけを問題視してオモチャの車にするわけにはいかない。
2年ほど前に公開してから,デライトにはそれなりに多くの人が来てくれた。例に漏れず,大半の人は黙って去り,一部の人はサービスの問題点を指摘して去っていった。私が開発者として一番痛切に感じていたことは,そうした問題点を大きく感じさせるほどの利用動機の小ささだった。「ここが使いにくい」などと言い残して去っていった人達が本当に言いたかったことは,「それでもと使うほどの意義を見出せなかった」ということなのだと思う。
事実,デライトの使いにくさや分かりにくさを改善して利用者が増えた試しがない。いま日常的に利用してくれているのは,あらゆる面でいまとは比べ物にならないほどデライトが貧弱だった時期に,どこかで私がデライトについて語っているのを見て,その可能性に興味を抱いてくれた人達だ。
デライトの意義を理解した人にとってデライトの問題は決して大きくない。開発者として,そう確信出来る地点にようやく来られた気がしている。あとは伝え方の問題なのだろう。
もう一つ,商売において陥いりがちな罠に,「生存者バイアス」としてよく知られた認知バイアスがある。成功例の背後にある屍の山に,人は気付きにくい。そして,成功や失敗の要因として語られることは,結果論でしかないことが多い。デライトが成功するもしないも,結局は「運」によるところが大きい,ということだ。
例えば,売れっ子の芸能人がみんな親しみやすく万人受けするタイプかといえば,全くそんなことはない。癖が強く,とっつきにくそうな人も多い。彼らは売れたから「それが良い」と言ってもらえるけれども,同じ特徴を持っていても売れずに「だから駄目なんだ」と言われている人がごまんといる。万人受けしそうなタイプならタイプで,売れなければ「無個性でつまらない」などと言われる。その差は,巡り合わせとしか言いようがない。
勝てば官軍ではないが,デライトの“とっつきにくさ”とされていることも,何かのきっかけで話題になってしまえば“面白さ”になりうる。その程度のことでしかないのかもしれない。
「結局は運」というのは投げ遣りなようでいて,実は非常に前向きな覚悟が必要な考え方でもある。粘り強く試行を繰り返していくこと以上に成功を確かなものにする道はない,ということだからだ。奇跡のような偶然も,サイコロを振り直し続ければ必然に近付いていく。
そしてこのデライト自体,すでにソフトウェア開発における奇跡的な生存例だ。ソフトウェア開発の世界では,デライトよりずっと低い目標を掲げていても,成功どころか動く物すら出来ずに頓挫していくプロジェクトがごまんとある。その中にあって,これだけの大風呂敷を広げ,この品質で実装・運用され,少ないながらも利用者がいて,ちょっとした収益化まで出来ている。こんなサービスは世界を見渡しても他にない。
そんな奇跡がなぜ起きているのか。それはやはり,「粘り続けたから」としか科学的な説明のしようがない。デライト自体は公開から2年を越えたばかりのサービスだが,研究期間を含めると20年近い歴史がある。その全てが無駄なくデライトに結実している。
運を味方に付け,デライトの成功という奇跡を起こすために,ひたすら粘り続ける。これを新生デライトの完成に向けた宣伝攻勢の所信表明としたい。
この希哲15年(2021年)11月1日で,希哲館事業は14周年と15年目を迎えた。なんだかよく分からない奇跡のような偶然の連続により,希哲館史上最高の環境でこの時を迎えることが出来た。
あとはデライトを成長軌道に乗せれば希哲館事業の成功はすぐそこだ。そのデライトの成功も,まず心配ないという状況にある。油断大敵ということで楽観的な展望はあえて持たないようにしている私でも,気の持ちように困ってしまうほど,今の希哲館事業は希望に満ち溢れている。
「幸せ過ぎて怖い」というのはこのことだろう。ここまで来ると今後起こることへの漠然とした不安が増してくる。これ以上何が起こっても,今ほど嬉しいことは少ないだろうし,何かとんでもない凶事の前触れなのではないかと考えてしまう。偶然に見えて,実は理に適っていることの方が多いのではないかという考えを持つようになっていたところで,それを吹き飛ばすような出来事があり,また分からなくなってきた。
デライトには「よろこび」(delight)という意味が込められているが,この幸運の象徴として長続きしてくれることを願うばかりだ。