K#9-D657 さんのように翻訳語について考えてくれている人がいると知れたことが今日の最大の収穫だった。おかげで持ち辺(モチベーション)が非常に高まった。
「繰り突く」のような動詞(またはそれに準ずる語形)は,日本語のような音節文字を使う膠着語だと特に,短い言葉を入れ替えて様々に活用ができるのが個人的に好き。
例えば「クリック」に対しては「クリックする」というあからさまな動詞化が必要で,「する」二文字とは言え少々煩雑。
一言だけ見るとそうでもないかも知れないけれども,
「...をクリックしてXXXする...。...をクリックする必要がある...」
とかいう文章が長々続くと「する」が連続して登場したりして,目に毒である(言い過ぎ)。
これが希哲館訳を使うと
「...を繰り突いてXXXする...。...を繰り突かなければならない...」
と,長さは同じだけれども,「する」の出番を減らせる。
用語を特定して言えば,“assembly” に対する「集め振る」も,上述の活用が効く。
すなわち “assemble” は「集め振る」と言える訳だから,
「『アセンブリ』は言語を指して,『アセンブル』はそれの処理を指す……」
なんて「(英語を)覚える」必要なんてなくなる。
「編集した集め振りを集め振る。」
と言うだけで,日本語話者(上掲の文を読むのであれば十中八九そうだろう)であれば,
体言=言語としての集め振りと,用言=処理としての集め振り(←この集め振りは動詞「集め振る」の名詞化)を,
苦労なく(※)識別できる。
※ 苦労なく,というのは,(日本語で書かれた)文章を読むのに本来的に必要な能力だけで十分ということ。