実はこの「テクノロジーとフィロソフィーの結合」というアイデア,すでに私の父がある程度の瀕答(ヒント)を持っていたので,私自身は慣れ親しんでいたものだった。ただ,今の日本でその意義を理解出来るのは本当に一握りだと思う。それを伝えるのが私の仕事なので,無力感に苛まれることも。
久しぶりに「テクノロジーとフィロソフィーの結合」という言葉を書いて改めて思ったが,いま私がやりたい事は,「テクノロジーとリベラル・アーツの交差点」と言っていたジョブズ時代の Apple をもっと抽象化したような企業の創出なのだろう。デライトが目指すべきはやはり柔品(ソフトウェア)における初代 iPhone みたいなものか。