2020-04ころの考え
「周類」を見ていて,「仕類」でもいいかもしれないと思った。
「仕類」という語にすると,「殻」という意味合いは薄れる(というか殆ど消失する)。
けれども,実際のところ,所謂 “Unix shell” なんかの “shell” とほぼ同じような意味で使われている “shell” って,単なる〝殻〟の比喩では収まらない概念なんではと思う(もちろん,根幹には「(核に対する)殻」という印象はあるのだが)。
というのも,Unix shellって繰り返しとか変数とか,:核類 KNo.F85E/4686-1838 APIの一利用形態(←これは例えばopen(3)とかmove(3)とかを駒手 KNo.F85E/A-1BDBとして利用できるということ)に留まらない使い方ができる訳で,そうすると,〝何か大本の機関があって,それに仕える〟という解釈もそう不自然ではないように感じる。
そうすると「殻」という意味合いが薄れても,「仕える」という意味合いを出せればあるいはと考えた次第。
「仕類」訳に限らず,「〜類」という訳語は,宇田川氏も述べている通り,「核類と仕類」のごとく,響きが整う。
更に言えば,この「〜類」による語調統一をさらに推し進めて,“utility” に対して「用類」という訳語も思い付いた。
とは言え,“utility” と「用類」では語音的にかなり乖離してしまっているし,既に宇田川氏による「用立」という大変優れてた既案が在るから,これは自分勝手な別案ということで……。
ぶっちゃければ,POSIXの文書なんかに頻出する “shell and utility” という言い回しを「仕類と用類」と訳したかっただけ……。