長期安定体制の完成後を視野に入れ組計整理と頭の整理をした。こうしてみると長期安定体制への切り替えも本当にギリギリのところで,これ以上遅ければ駄目だったかもしれない。これもちょっとした奇跡だ。
7月いっぱいまでは夏休み気分でいいことにしているが,そろそろ準備運動くらいは必要な時期だ。開発作業もぼちぼち再開したい。
今月に入ったあたりから,ぼんやり考え事をしてしまう時間が増え,進捗はそこまで悪くないものの,思うように集中力が高まらなかった。上手く言い表せないが,「迫り来る何か」に揺さぶられている感覚がずっとある。
まず考えられる原因は,1月の脳爆発の反動と疲労だ。1月だけで半年分の仕事はしてしまった感がある。その後の雑務が上手く片付いた解放感も手伝って,ちょっと気が抜けてしまったのかもしれない。そういう意味では,必要な休息でもあったのだろう。
もう一つは,新生デライト開発における「マラソン終盤効果」とでもいうべき心理だ。1月の脳爆発以降,予定になかった当努を多数挿入してしまったとはいえ,それを差し引いても新生デライトの完成が遠く感じる。ここ数ヶ月だけでも明らかに多くのことを実現しているのに,もう少しだという意識が高まれば高まるほど残りの当努が重く感じる。
加えて,「デライトの完全な成功」が意味するものの微妙ながら小さくない変化がある。イーロン・マスクによる Twitter 買収以降の SNS 戦国時代で,デライトが一気に大舞台に引っ張り出されてしまった。
ほとんどの競合が「次の SNS」に留まる中,KNS として「SNS の次」のビジョンを明確に提示出来る世界で唯一のサービスがデライトだ。それを世の中に伝えることが出来れば,世界一の大富豪を制し,世界情勢をも左右するネット文化の大革新を果せる。
希哲館事業が長年目指してきたことが,ここ数ヶ月ほどのあいだに急速に,目前に迫ってきている。昨年の日記にも似たようなことを書いているが,その時の「デライトの完全な成功」と「世界史上最大の成功」が定義上の,やや観念的な結び付きだったのに比べて,今のそれはずっと生々しい,世俗的な現実感を伴っている。いまデライトの完全な成功を果すことと,世界中の注目を集めること,莫大な利益を得ることが直結しているからだ。これも当努と同じで,もう少しだと思えば思うほど時間が長く感じる。
この難しい状況で平常心を保つために,とりあえず,目の前の当努と輪郭整備を極力強く意識することにした。考えても疲れるだけのことは考えないようにする。
今年に入ってから,新生デライトの完成への意識が高まったこともあり輪郭整備にほとんど時間を割けなかった。今日は開発作業の合間にちょこちょこ輪郭整備をしてみたが,やはり精神衛生上の効果が大きいと感じた。
昨日過熱気味だった分,半休にして早く寝ようと思っていたが,夜になって開発作業に熱中してしまいまた遅くなった。アイデアの連鎖が止まらず,脳爆発が起きているようだ。
輪郭整備もまた出来なかったが,これは優先順位の問題なのであまり気にしないことにした。重要なのはその日に最善の仕事をすることで,輪郭整備は選択肢の一つだ。頭で考えるほど輪郭整備に気が向いていないことにも理由があるのだろう。こういう直感に救われたことは何度となくあった。
昨日の日記を書きながら,デライトの横への広がりの無さについて考えてしまった。「デライトに熱中する人を少しでも生み出せれば,そこからは自然に広まっていくはずだ」と思っていたこともある。現実には,熱中する人はいても広がりは無いに等しい。
デライトの価値を認めている人ですら,これを他人と共有しようとか共有出来ると考えることが出来ないものになってしまっている。デライトにとってこれが一番深刻な問題かもしれない。
比較的早く調子を上げることが出来,開発作業もよく捗った。この調子で行きたい。
週1回くらいでいいと思っていた全身浴だが,結局毎日のようによく入っている。夜の休憩や,就寝前に気分を落ち着かせるのに丁度良い。全身浴を再開してから顔色や肌の調子なども非常に良い。もっとも,これはゆっくり湯に浸かれるだけの気持ちのゆとりが出来て,生活律動が整ってきたことも大きいのだろう。
そんなわけで今日も上手く就寝出来るかと思ったが,入浴前の21時頃から昔のことを色々思い出してしまい,少し調子が狂った。他自我内検索用合い改良兼自我ページ整備が出振るいまであと一息というところだったこともあり,寝るのは遅くなってしまった。
色々なことを思い出しながら,小学校高学年で経験した自由で満たされた時間,その中で抱いた理想と後悔が半世紀経って結実しつつあるのだと,これまでにないほど強く感じた。自分の中でまた重要な何かが更新されたような気がした。
デライトの完全な成功への意識が更に高まったので良しとする。