愛国心と興国心

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲9年(2015年)
01月04日 22:04
下描き希哲9年(2015年)
01月04日 20:46
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

日本人はよく,「愛国心がない」国民だと言われる。これは凄まじい愛国教育を行った戦前の反動で,戦後教育が愛国心を強く抑制してきたことと,表向き愛国心を捨てても揺るがない国民統合の基礎が,戦前にほぼ完成していたことによる。しかし,近年この状況が変わりつつある。

原因としては,愛国心を忘れるほどの独走的な経済発展が終わり,新しい心のよりどころを求めるようになったことや,国際常識というものが強く意識されるようになり,戦後日本の自虐史観が世界的に極めて異常であることに多くの国民が気付いたこと,また成熟した豊かさを背景に自国文化を見直すゆとりが出来たことなどが挙げられるだろう。

もっとも,日本がここまで国際的な信頼を得ているのは,自虐的な戦後教育の功でもあることを考えれば,いわゆる右傾化を単に「正常化」とみなすことの危うさもある。その「正常化」で失うものもあることは考えておく必要がある。

ところで私は以前,これからの世界に必要なのは愛国心(patriotism)ではなく「興国心(heroism)なのではないか,と考えたことがあったのを思い出す。

愛国心というのは,国家への帰属意識を高めることで安心感・一体感を得ようとする心情だ。そこには確かに集団主義という側面があり,過去の反省を踏まえればなかなかその先に素晴しい未来があるとも思えない。かといって,単なる個人主義の限界も明らかだ。人間は民族の歴史から自由ではありえず,国土を踏まずに生きてもいけないのだから,国家をないがしろにして個人を偏重するということが,結局のところ主体性・自律性の喪失になるというジレンマがある。

国家に埋もれるのではなく,国家から逃げるのでもない。ならば進んで国家の担い手となる道しかない。これが私の興国心,興国主義だ。相対主義を超えた正対主義の実践であり,「創造する集団主義」とも「逃げない個人主義」ともいえる。ちなみに,むかし夏目漱石もこれに近い考え方を表明していた『私の個人主義』

愛国心と興国心を見分けるには,いまある国家の姿に誇りを持とうとしているか,これから誇りある国家を創ろうとしているか,を見極めればいい。愛国者(patriot)は「私の国は素晴らしい」というが,興国者(heroist)は「私が素晴らしい国にする」という。愛国者は孤立と困難を恐れるが,興国者はむしろそれを喜ぶ。より大きな難題に挑み,自ら興国の立役者になりたいからだ。

日本人の一人一人が愛国心を超えて興国心を身に付けることが出来たとしたら,こんなに末恐しい国民はないと思う。戦前とはまったく違う意味で,世界を驚かすことが出来るだろう。

「なんでもメモ」サービス、デライト公開中!
https://dlt.kitetu.com
出力論組プログラム虎哲*イチ 1.01
制作・運営:希哲社
© K1-13 (2007-2019) KiTetuSha