自由

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲6年(2012年)
08月26日 16:40
下描き希哲6年(2012年)
08月24日 19:50
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

「自由」(じゆう)とは,「自らに由る」の意である。一般に liberty や freedom の訳語であるが,宇田川はその日本語としての意味に着目し,self-cause(causa sui,自己原因)に通ずる第三の意味を考察している。したがって,宇田川が「自由」を外国語に翻訳する時は日本固有の概念として「jiyu」等とする。

自由はもはや氾濫した言葉であるが,その真意の実践はとても難しい。

その難しさの一つに「与えられる自由」の問題がある。これは,自由の枠組を他人から与えてもらう事に疑問を覚えない問題である。

更に,「自由への執着」の問題がある。これは,自由という概念に拘るあまり不自由に陥いってしまう問題である。

また,「自由の形式化」という問題もある。自由は特定の行動形式ではない。たとえば,檻に入れられた動物も,生まれた時から檻で過ごすような教育を受けていれば自由でありうる。自由とは精神的問題であって,何をしているか,していないかの問題ではない。

鳥には鳥の,魚には魚の,獣には獣の自由がある。

これは,自由を外形で判断すべきでないという事でもあり,自由は教育によってその形を変えてしまえるという事でもある。

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一覧

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政治芸能も,いまやインターネットから自由ではありえない。そしてそのインターネットはほぼアメリカ情技(IT)企業支配されている。つまり,日本人自由はない。日本人は支配されることに慣れているから,もしかしたらそれが何?と言われるかもしれない。私はひたすらだ。だから壊す

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この際,はっきり言おう。SNS自由は無い。自由になりたければ,SNS を捨てよ。

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SNS から自由生活って,本当に楽しい。この楽しさはどうやって伝えられるのだろう。

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Mastodon に限らず,OSS市場戦略上の問題は,「人々は自由を求めているはずだ」という思い込みにある。多くの人は,自由よりも利便性価値を見出す。我々のように,多少不便でも自由だから使う,という人はかなりの少数派

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そもそも言葉なんて使われてなんぼなので,希哲館訳語は当然ながら自由に使ってもらっていいのだが,文書としての『希哲辞典』も含めて,もっと強く自由保証した方がいいのかもしれない。気分的に。

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とはいえ,私もデルンという知能増幅(IA)技術自由に使える膨大時間が無ければ希哲館訳語なんて出来なかったので,それ自体は無理もないことだと思うのだが。

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なぜ先進民主国家投票率が下がるのかというと,誰が政治家になろうと一定の自由豊かさ保証されていて,多くの人が投票意義を見出さなくなるから。皮肉なことに。

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SNS は,私にとっては牢獄だった。仏教風に言えば「俗界の極み」みたいなところなのだから,まあ自由があるはずもなかったのだろう。そして私は SNS から出家したわけである。

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ある程度 Twitter に慣れた頃,自分の色を出したツイートをした途端,面白いくらい反応が止まった。その時,私は SNS(的なもの)も決して自由世界ではないんだな,と悟った。そこでは「皆の目線」に合わないものに力が与えられることはない。そう悟った瞬間,私はネット界ダース・ベイダーと化したのだと思う。

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いま柔品ソフトウェア)が十分に自由なのか,というとそうでもないだろうし。

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例えば Wikipedia を見ると「スコレーは、たんなる余暇ではなく、精神活動や自己充実にあてることのできる積極的な意味をもった時間、また、個人が自由または主体的に使うことをゆるされた時間のことである 」と書いてあるのだが,なんかモヤっとする。「意義のある余暇」を外的に定義したらそれは自由なのか,とか。

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「これからは暗号通貨の統制から自由になる」という人に対して,「で,それは誰があなたに届けてあなたは何を根拠に信用するんですか?」と問えばそれが無理筋であることが分かってもらえる,と思った私が甘かった。

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こと柔品(ソフトウェア)開発に関していえば,世界を見渡してもここまで自由にやれている人間はそういないと思う。なのになんだこの体たらくは。

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月庭は月庭で,希哲館世界観自由表現する場としての意義があるので,単に無個性にする,ということはしたくなかった。そういうジレンマを「二刀流」で解決する,というのは良い思いつきだった。

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これだけ自分のやりたいように柔品(ソフトウェア)開発に専念出来る自由な環境を持った男というのは,これまで世界に存在してこなかった。それを考えると自分の無能さばかりが際立つ。

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日本には,日本人には,「まだ見ぬ自由」がある。それを見ることが日本独立である。

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日本はまだ事実上アメリカ合衆国の支配下にあるが,厄介なのは,その意味を多くの日本人が理解出来ないようにしていること。奴隷の主にとって,奴隷が疑問を抱かないようにすることは得策である。そして,奴隷しか見たことがない奴隷は「自由が欲しくないか」と言われても何のことか分からない。

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国家というのは,その秩序を保つために必要だけの統治機構を自生させるもので,強権的な政府というのは自由に振る舞う国民の裏返しでもある。多くの人が中国不自由日本は自由と誤解しているが,秩序を制度で維持するか「空気」で維持するか,の違いでしかない。不良の多い学校ほど校則が厳しいのと同じ。

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昨日こんな文章を書いたが,日本情緒同調圧力秩序を保てているだけで,結果的に行使できる自由中国と大差ない。

批判芸術について考える

https://kitetu.com/KNo.F85E/A-5B28-3C5C

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散々環境に救われてきたおかげでここまで自由にやれてるのに,気分次第で業界を腐す癖,自分の悪いところだなと思う。大抵の業界人は私より努力家だし苦労人なんだとは分かっているはずなのに。

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それはつまり,仏教的な「自由」と西洋思想における「自由」の一致点を見つけた,ということでもあるのだろう。

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何かからの自由〈liberty〉ではなく,そのままの自由〈freedom〉でもなく,「第三の自由」がある,という直感があった。それは,自分がまだ知らない,ありのままの自由〈causa sui〉だ。

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実際,この上ないくらい今の私は自由を謳歌出来ているし,私の人生の目的はずっと「根源的自由」(causa sui)を得ることだったのだろう。

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自由への強烈な志向が神秘主義的世界観へ私を導き,そこからプラトン主義に合流した,というのが希哲館事業の原点といえなくもない。

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自由でありたい,というからには,自分が何者で,何を求めるのかを知らなくてはならない。だから,学校に行かずにただ思いつきのままに過ごすことにも,学校に行ってただ規範に従っていることにも根源的自由はない。

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学校に行かないことは「自由」なのか?という議論があるが,実は自由には三種類ある。例えば調教されない獣のような所与的自由freedom),社会的に形成される権利的自由liberty),そして自我の根源に基く根源的自由causa sui)だ。この三つめの自由を私は「第三の自由」と呼ぶ。

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というのも,日本人がいう不自由さって具体的な制度や観念ではなく「空気」みたいなものにあるので,空気さえ無視すれば大抵のことは自由に出来る。

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私のような人間にとって,日本ほど自由な国は無い。

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人生で今が一番楽しい時期かもしれない。この上なく大きな夢があり,それを実現する準備があり,十分な金と時間があり,若くて健康で……何よりひたすら自由だ。

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