広告というのは突き詰めれば芸術に負けず劣らず繊細で専門的な仕事なので,酒井いぶきさんのことを知っていても酒井さんに任せられない,という状況は十分に考えられるが,それでも原石を磨くというか,荒削りだが光るものを持った若い表し手(アーティスト)を育ててやろう,みたいな余裕と優しさが社会には欲しい。
アーティスト(英語:artist)というのは,古典的には芸術家と訳されることが多かった外来語だが,近年ではアーティストと芸術家という表現が意図的に使い分けられる例も目立つ。
それは,芸術家という言葉に伴う伝統的な響きの重さを避けてであったり,表現の分野や趣向が多様化する中で,例えば画家・音楽家といった分野毎の肩書きによらず,表現活動をする者一般を漠然と示すためであったりする。特に商業音楽では,曲の実演者をアーティストと呼ぶことが多い。これは,実演者が個人(歌手・奏者……)なのか集団(バンド・グループ・ユニット……)なのか,あるいは架空の<ruby><rb>柄工</rb><rp>(</rp><rt>キャラクター</rt><rp>)</rp></ruby>なのかといったことも不定で,個人がいわゆる芸術家や音楽家であるとも限らないからだ。
このような,分野・程度・形態に関わらず「何かを表現した者」を漠然と指すアーティストという言葉に,私は「表し手」(あらわして)という造訳語をあてることにした。いわゆる「表現者」に近い言葉だが,表現者というのは表現活動を生業あるいは生き甲斐とするような人のこと,つまり芸術家に近い意味で使われているので,これを避けた。