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{手書きはなぜ重要か K#F85E/EB2B}

私は知識の保存・整理・交換のためのシステムを開発しているが,一方でアナログな「手書き」の効用に注目している。

例えば「ノートにペンで書く」という行為は,意外とデジタル的に再現するのが難しいところにその重要さがある。

第一に,「直感性」である。人は,頭が考えている事すべてをはっきりと言語化できるわけではない。しかし,デジタル・テキストは多かれ少なかれ形式的で,ある程度思考をまとめないと書き始める事ができない。一方で,ノートには「とりあえず書き始める」事で潜在的な思考の形を描き出す事ができる。始めは文字とも絵ともつかない落書きかもしれないが,自分でも気付いていないような微細な情報や,もやもやとした曖昧な情報を引き出す事ができる。これが思考の整理には重要である。

第二に,「単純さ」である。デジタル・ツールは,その性質故に機能を詰め込みがちになる。線の種類や色を変えられたり,画像を挿入できたり,といった事ができてしまうと,「とりあえず書き始める」前に「何の色にしよう」等と道具について考えてしまいがちになる。第一に挙げたような繊細な情報を引き出すには,こうした余計な思考を生む要素は少なければ少ないほど良い。

第三に,「不自由」である。紙は検索性が悪く,自由に内容の更新もできない。大きさも決まっている。そのために,出来るだけ明確かつ簡潔に思考を書き出さなければならない。つまり,書く事そのものは直感的でありながら,しっかりとまとめる事に動機付けがなされる。

第四に,「可搬性(ポータビリティ)」,つまり特定の環境に依存せずどこでも使いやすいか,という事である。これまでに挙げた事は,原理的には筆圧が感知できるタブレット・コンピュータ上のアプリで再現できる。しかし,どの端末を使うか,どのアプリを使うかをまず考えなくてはならないし,作ったデータが独自形式かもしれない。端末が壊れた時,電池が切れた時,アプリの提供が停止した時には使えない。

仮にこれらの条件を全て満たし,問題を解決したデジタル・ツールができたとしても,ノートとペンに比べて明確な優位性があるとは考えにくい。ほぼ全て,デジタルで再現できる事ではあるが,デジタルである必要がある事ではない。

これからのデジタル・ツールは,こうした外部的な要素といかに調和できるか,という事が重要になると私は考えている。つまり,連携手段,有効な使い分け方を総合的に提供するのである。UNIZ にも通じるが,デジタルに限らず全ての道具の性質・役割を見極めて,いかに活用していくべきかという事を考えていきたい。