絵画(キリスト教美術)においては理想の女性像として頻繁に描かれた。中世までは観音菩薩のような超然とした描かれ方をしたが,ルネサンス頃から世俗的な魅力ある女性として描かれることが増えた。特に,ラファエロやロレンツォ・ロットの描くマリアは愛らしい。
フランス語では「ノートルダム」とも呼ばれる。
絵画(キリスト教美術)においては理想の女性像として頻繁に描かれた。中世までは観音菩薩のような超然とした描かれ方をしたが,ルネサンス頃から世俗的な魅力ある女性として描かれることが増えた。特に,ラファエロやロレンツォ・ロットの描くマリアは愛らしい。
フランス語では「ノートルダム」とも呼ばれる。
西洋美術史を眺めながら,この頃よく考えることがある。イエスの母,つまり,キリスト教における「聖母マリア」像の変化についてだ。
現代の,特にキリスト教文化を好意的に受け入れている国で「聖母マリア」というと,美しく母性に溢れる,理想的な女性像を思い浮かべる人が多いだろう。しかし,中世までの西洋絵画におけるマリア像は,現代的な感覚でいう美女ではない。その多くが,仏頂面にも見える女性像だ。「仏頂面」というのは,もともと仏像の一種に由来する言葉らしいが,面白いことに中世のマリア像の多くが仏教の観音像によく似た表情をしているのだ。
観音はもともと女性であったわけではないが,信仰の中で女性的な役割を与えられるようになった菩薩だ。その意味ではマリアに近い。実際,江戸時代の日本では「マリア観音」などというものがあった。これは,当時弾圧されていた日本のキリスト教徒たちが用いた観音像風のマリア像だ。
さらに辿れば,仏像の起源はアレクサンドロス参世(大王,前356年〜前323年)の遠征によってインドに持ち込まれたギリシャ文化(彫刻)であるという。つまり,初期のキリスト教文化にも仏教文化にも,共通してヘレニズム(ギリシャ流)の影響があったことになる。仏像のようなマリアの表情は,聖母の超俗性をよく表現しているとも言えるが,ただの偶然ではなさそうだ。
美しいマリア像の登場は,イタリア・ルネサンス期のラファエロ(1483年〜1520年)の仕事に代表される。ラファエロ以前に無かったとは言えないが,その知名度と影響力から考えて,とりあえずラファエロを分岐点としておくのが無難だろう。実際,初期ラファエロのマリア像は中世的な厳格さを持っているので,ラファエロ自身にも変化がみられる。『小椅子の聖母』と『システィーナの聖母』は美しいマリア像の二大傑作で,ほとんど美人画だ。そこには,宗教的な威厳がほぼ感じられない。
ラファエロの絵は,その圧倒的な優美さに特徴がある。しばしば表面的過ぎるように感じられることがあるが,表面の美しさを描かせれば美術史上類をみない画家といえる。ラファエロのマリア像も,マリアの美しさを,宗教的な精神性としてではなく世俗の女性的魅力として描いたという点で評価が分かれるだろう。宗教画として厳密に評価すれば失敗作ともいえるし,美人画としてみれば西洋絵画史上の最高傑作ともいえる。
例えば,レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年〜1519年)の『モナ・リザ』がもしマリア像だったなら,これほど忠実に中世キリスト教の精神を継承し,宗教的な威厳に優れたものはなかっただろう。『モナ・リザ』のモデルは謎とされているが,そこに描かれた女性の得体のしれない表情は,美しさよりも底しれない神秘性を感じさせる。ダ・ヴィンチの絵にはラファエロのような華美さはないが,内部から表面を観ていた画家ならではのマリア像といえたかもしれない。