先日,デライトでも RSS 対応をした。以下のように,任意の輪郭一覧を RSS で「待っ読」(まっとく)ことが出来る。
この「待っ読」,フィードにおける〈subscribe〉あるいは〈subscription〉の翻訳語として昔考案したものだ。
今のようにデルン(デライト)で何でもかんでも記録するようになる前だったので,正確な考案時期は忘れてしまったが,デルンが実用化した希哲6(2012)年より前だったことは間違いない。ただ,しばらくは案の一つだったようで,希哲8(2014)年に改めて採用することを決めている(〈subscribe〉を「待っ読」と訳す)。
今となっては希哲館訳語の蓄積も膨大なものとなったが,そのほとんどはデルン実用化後に出来たものだ。「待っ読」は独自性を持つ最古の希哲館訳語と言える。「希哲館訳語の原点」と言っても過言ではない。
この「待っ読」,すでにお気付きかもしれないが「積ん読」にちなんだものだ。
そもそも〈subscribe〉の翻訳語を考えるきっかけは,phpBB3 という掲示板スクリプトの日本語パックを作りたいと思ったことだった。希哲館事業発足間もない希哲2(2008)年のことだ。
phpBB3 は,希哲館で情報交換のために使える掲示板として当時は有力な選択肢だった。かねてより必要を感じていた翻訳語整備も兼ねていた。今はデライトがあるが,このデライトを実現するためにデルンの実用化を目指すことになり,この望事自体は立ち消えとなった。
その中にこの用語があったが,直訳の「購読」では明らかに不自然だった。散々考えた挙句,投げ遣り気味に「積ん読」と訳すことを考えた(RSS フィード等の “Subscribe” は「積ん読 (つんどく)」か)。これは流石に無理があったものの,しばらくして「待っ読」の元になったわけだ。
それから十数年経ち,〈subscription〉という概念は,サービスなどの定額制を意味する「サブスク」として広く認知されるようになった。
しかし,フィード等の〈subscribe〉をどう翻訳するか,という問題は当時から未解決のままだ。
デライトでは,利用者が出来るだけ自然に使えるように,希哲館訳語のほとんどをあえて採用していない。見慣れない翻訳語に気を取られて欲しくないので,多少のカタカナ語には目を瞑っている。
それにしても,「サブスクライブ」も「購読」も自然で分かりやすいとは言えない。なら「待っ読」でいいんじゃないか,と採用することになった。
最も思い出深い翻訳語がここで復活してくれたことに,運命的なものを感じざるをえない。
私はよく「希哲〜年」と書いている。例えば今年(2021年)なら希哲15年となる。これは「希哲紀元」という希哲館独自の紀年法だ。希哲館事業発足の2007年を希哲元年とし,そこから希哲2年,希哲3年と数えていく。
この希哲紀元を私的に使い始めたのが希哲8(2014)年頃だから,もう7年ほど経つ。
希哲館訳語からも分かる通り,希哲館では日本語を最重要視している。日本語の力を活かして知識産業革命を成し遂げ,日本語を世界中に広めたいと思っている。
ところがここで一つの問題があった。日本語で使える普遍的かつ合理的な紀年法が無かったのだ。
我々日本人は元号に慣れているし,愛着を持つ人も多いだろうが,元号はあくまでも天皇の権威に由来するものであり,外国人に押し付けられるものではない。紀年法としての分かりやすさを犠牲にする代わりに時代感を共有しやすいなどと言われるが,それも国内の問題に過ぎない。
それでも日本人は元号を使うんだ,と言えるほど元号にこだわりがあるのかと言えば,実態はそうでもない。西暦も当たり前のように使われており,面倒だから西暦だけにしてくれという人もまた多い。ではその西暦に問題が無いのかと言えば,キリスト教の価値観に基く紀年法が中立なわけはない。
キリスト教徒の少ない日本で,元号を捨てて西暦だけを使うようになった日本人というのも奇妙だろう。かといって,元号のみを使うのも皇紀を使うのも現実的ではない。併用している現状が良いのかと言うと,やはり面倒なことが多々ある。
残念ながら,日本語の現状として,気持ち良く使える紀年法は無い。この気持ち悪さに自分なりに決着を付けたかった。希哲紀元を使い始めた動機はそんなところだ。
希哲紀元を初めて見た人はぎょっとするだろうが,実は,一つ一つの理屈は単純明快だ。馬鹿正直過ぎるくらいかもしれない。
希哲紀元が希哲館事業発足の年を元年とするのは,希哲館にとってそれ以上に独立性を示せる出来事が無いからだ。宗教や特定の文化に依存することを極力避け,どこかに始点を置かなければならない以上,希哲館は希哲館の始まりを元年とするほかない。まあ,「苦節云年」を難しく言ったものだと思ってもらってもいい。
希哲紀元には,文化的独立性を保つという意義に加え,これまでの紀年法の欠点を克服しようという試みもある。
希哲紀元は元号風だがあくまでも「紀元」なので,西暦と同じように改元は無い。ただ,「希哲」には元号同様,新時代への思いが込められている。それは今後数十年ではなく,半永久的に続く時代の名前だ。
さらに,希哲紀元には元年の前に「零年」がある。その前が「前1年」だ。つまり,歴史上の全ての年を整数として扱うことが出来,計算しやすい。これは西暦にない利点だ。
元号にも西暦にも使用義務は無く,あくまでも文化の一つとして任意で使うものだ。当然ながら,希哲紀元も私個人や希哲館の内部で使っているもので,無理に使わせたいということもない。これが本当に合理的なものなら,自然に広まっていくだろう。
ただ一つ,希哲紀元を使い始めてから年月日を書くのが楽しくてしょうがない。