こんてん,梱典。
宇田川の訳語。
明日から長期安定体制仕上げの後半戦だが,旧雑務も想定より早めに片付きそうで,早速気持ちが弛緩し始めている。
長期安定体制の完成まであと一息という希哲館事業・デライトとは対照的に,Twitter は崩れ落ちる音が聞こえそうなくらいの混乱ぶりで,ついに,Twitter の名称と語体を「X」に切り替えるそうだ。既存用者が気の毒なくらい,ブランディングやデザインの観点からは明らかな悪手だが,色々考えさせられた。
イーロン・マスクが,センスの権化のような存在だったスティーブ・ジョブズと一部で並び称されることにずっと違和感があったのだが,やはりこの人には根本的にセンスがない。
「X」になんとなく既視感があるなと思ったら,14歳くらいの頃の自分も,「X」のような意味深な名前で,漠然と万能な凄い司組を作りたいというようなことを考えていたからだったことに気付いてしまった。イーロン・マスクという人は,本当にその辺の中2の感性を何のひねりもなく50過ぎまで持ち続けているのだなと思う。難解で理解出来ないのではなく,幼さが痛いほど分かってしまう。
司組も大きく改変されて,Twitter というブランド・根想が辛うじて,表面的に Twitter らしさを保っているだけだなと思っていたところなので,この変更をもって事実上「Twitter の終焉」とすべきなのかもしれないとも考えた。しいて言えば,用者と献典が依然として残る遺産だが,それも,所有者の感性がこれだと腐っていく気しかしない。
もっとも,とっくの昔にゾンビ化していた Twitter をそのまま健全化するなんてことは最初から無理な話だったわけで,マスクはその現実を覆い隠さず世間に突き付けただけとも言える。ゾンビになっても騙し騙し生かされてきた Twitter にとっては,ようやく安らかに眠れる良い機会かもしれない。
添付譜類はあくまでも添え物として最小限の役割に留め,エクスポート機能でも実譜類の出力には今後対応しない方針を固めた。
元々添付譜類は添え物として設計しているが,実際に譜類添付機能が出来,エクスポート機能を実装しようとしてみると,実質的な役割の落とし所が意外に難しい。意図に反して,変に使われ過ぎるのも問題だ。
エクスポート機能では,とりあえずは代替 HTML などで済ませ,ゆとりが出来たら実譜類にも対応するか,などと考えていた。そもそも,どんな大企業のクラウドであれ消えて困るような譜類の唯一の保管場所にすべきではないし,そこまで神経質な人が手元に抜控を持っていないということも考えにくいので,実はさほど必要性の高い付徴ではない。とはいえ,エクスポート時の負荷や帯域だけが問題なら金で解決出来るのだから,将来的に対応しないというほどの動機もない。
しかし,添付譜類がエクスポート出来てしまうことで譜類倉庫的な利用が増え,それに伴い譜類保全の責任が増せば,将来にわたって無視出来ない経営上の問題になる。ということについさっき気付いた。描出公開原則同様,ここは割り切った用者文化を育てていくべきだろう。
これに気付いてみて,最近,添付譜類の役割を広げようとし過ぎていたことにも気付いた。譜類添付機能のサイズ上限や拡張子制限の緩和も考えていたが,これも最小限に留めることにした。拡張子制限は制危面もあるが,献典として非効率だったり無意味だったりする譜類の上信抑止といった効果も望める(例えば .bmp
をそのまま上信して欲しくはない)。
デライトの強みは,知番による意味符号化で文字献典の情報密度を極限まで高め,その軽さを最大限に活かせることだ。譜類倉庫的な方面で消耗するのは差別化戦略として明らかに悪手だ。譜類添付機能実装以降,その軸が微妙に揺らいでいることはうっすら感じていた。今日は妙に頭がもやもやしていると思ったら,どうも脳がそれを訴えていたらしい。気付いたら非常にすっきりした。
描出公開原則のように何かこの方針に名前を付けたくなったが,「譜類添付機能」という名前で趣旨は表現出来ているので,それに立ち返るということで十分だろう。
脳爆発のおかげで検討作業では大きな収穫があったが,思考が広がり過ぎたか。サイクリングでそれなりに身体を動かしたにもかかわらず,夜は脳疲労感が強かった。他にちょっとした幸運があり,少し気が緩んだことも影響しているかもしれない。
最近,ちょくちょく「KNS の経済的合理性」について考えている。考えれば考えるほど,KNS は SNS と PKMS の相補的・相乗的な発展形であると同時に,経済的合理性において唯一の解だと思えてくる。
SNS の経済的な問題は,「献典の質」にある。開放的にして人を集めると,どうしても粗悪な献典が増える。そもそも,SNS における投稿は体験のための手段に過ぎないことが多く,献典としての情報価値が低い。
日常的な挨拶から「バルス祭り」まで,情報としての意味はない出与えを抱え過ぎている。砂金のために土砂を全部保管しているようなものだ。意味がないだけならともかく,不法行為やデマのようなものも誘発する構造を持っているのも厄介だ。放っておけば広告主が減るし,監視を強めれば人件費が増える。かつての匿名掲示板も同じ問題を抱えていたが,文字という最も軽量な情報が主でありながら維持費に収益が追いつかない理由だ。
他方の PKMS では,知的関心で献典が蓄積され,利用者も自然と内省的になるので献典の質や治安は総じて良い。
ただ,PKMS はとにかく「高コスト体質」になる。今まともに開発しようとすれば,厳重な制危と情報保護体制,複雑な WYSIWYG 選り手,自動保存,編集履歴,オフライン対応,ゆとりのある譜類上信機能あたりは基本として,OCR や人工知能くらい付いているのも当たり前になりつつある。デライトがこれらの機能を上手く切り捨てられているのは,やはり KNS という根想によるところが大きい。どれも SNS なら必要性が低い。
しかも,PKMS は閉鎖的なサービスなので収益化手段は限られ広告宣伝費もまともにかかる。Evernote にせよ Notion にせよ,SNS に比べると規模的には伸び悩みの状況にある。
そこで KNS たるデライトの出番というわけだが,KNS は KNS で「新し過ぎて理解してもらうのが難しい」という問題を抱えている。逆に言えば,ここさえ突破すれば SNS の次と PKMS の次を同時に創出出来る。SNS をメモ通類として使っている人,PKMS を情報発信に使いたい人はそれなりにいるので,突破口は確実にある。