一般に「ゆるキャラ」とされているふなっしーという<ruby><rb>柄工</rb><rp>(</rp><rt>キャラクター</rt><rp>)</rp></ruby>がいる。船橋市民が地域おこしのために始め,2010年代前半にいわゆる「ゆるキャラ」の代表格とみなされるようになった。
人気を集めているふなっしーだが,中には何が面白いのか分からないという人もいるだろう。実は私も,芸として特に面白いとは思っていない。ただ,ふなっしーを単なるゆるキャラではなく,ゆるキャラを批判的に再構築した「ポストゆるキャラ」として捉えると,別の意味で興味深いものがある。
そもそも「ゆるキャラ」というのは,200X年代後半に,地方自治体等のマスコットに完成度の低い(ゆるい)奴がいる,ということが主にネットで「おもちゃにされる」形で火がついたものだ。この下地を作っていたのはみうらじゅん氏だが,これが受けたのは,地方衰退が叫ばれる日本において,地域おこしに真剣な団体が真剣に作ったのにも関わらず間が抜けている,というところに可笑しみを感じられたからだ。
しかし,一度ブームになってしまうと何かが狂い始めるのは世の常で,やがて「ゆるければウケる」と考えられるようになり,ゆるキャラであることをアピールする柄工や,狙って作られた柄工が氾濫するようになる。初期のゆるキャラの面白さを知っていた者たちは,これにしらけていた。ふなっしーが誕生したのは,ちょうどそんな時,2011年のことだった。
個人が始め,従来のゆるキャラよりも一回りゆるく,さらにどこかゆるキャラというものを勘違いしていそうな挙動は,多くの人に「ゆるキャラブームに便乗しようとして失敗している素人」という印象を与えた。たまたまそうなったのか,実は計算尽くなのかは知る由もないが,ここにふなっしーの真髄,極めた卓越した<ruby><rb>商活</rb><rp>(</rp><rt>マーケティング</rt><rp>)</rp></ruby>センスが感じられる。つまり,新鮮さを失なったゆるキャラ界の上に,ゆるキャラの原点である本当のゆるさを巧妙に再現しているのだ。これこそ,ふなっしーが単なるゆるキャラではなく,ゆるキャラという文脈を利用した実は新しい種類の柄工,すなわち「ポストゆるキャラ」であるといえる理由だ。
もちろん,ゆるキャラが色褪せたように,ポストゆるキャラの新鮮さもそう長くは続かないだろう。この手の流行物にとって,なぜ面白いのか「理解」されてしまうということは,寿命を迎えたということに等しい。