(また)
宇田川による接頭辞「メタ」(meta-)の翻訳語。漢字「又」は片仮名「メ」と「タ」の合字にも見える。希哲9年4月14日考案。
又請け・又貸し・又聞きのように間接の意を表す接頭辞でもあり,繰り返しを意味することから自己言及の意に相応しい(「哲学の哲学」→又哲学)。
同階層にあるファインズよりも意味的に上位にあるファインズ。先頭に _ を付ける。
今日ふと,メタ(meta-)という接頭辞を「又」(また)と訳せることに気付いた。
メタというのは,もともとは「後の〜」といった意味を加えるギリシャ語に由来する英語の接頭辞だが,一般に「○○の○○」を「メタ○○」と表現することが多い。例えば,「認知の(に対する)認知」を「メタ認知」,「言語の(を記述するための)言語」を「メタ言語」などと言ったりする。一種の再帰的表現ともいえるだろう。
一方の「又」は,おおむね「さらに」という意味で使われる言葉だ。又貸しや又聞きのように,接頭辞としての機能もある。この場合,同じ行為の繰り返しとして間接的な様を表現している。メタの訳語としてこれを拡張することを思いついたのだ。
メタ認知は「又認知」,メタ言語は「又言語」,メタ哲学は「又哲学」,メタデータは「又泥」(又泥汰)……試しに色々置き換えてみたが,悪くない。面白いことに,「又」という漢字はカタカナ「メ」と「タ」の合字のようにも見える。
ただ,日本語において俗に使われる「メタ」は,単に「○○の○○」ではないことがある。例えば,創作物における登場人物の台詞で,架空の世界を超えて現実世界の視点に立っているようなものを「メタ発言」というが,これは「発言の発言」という意味ではなく,メタフィクション,つまり「又虚構」的な発言であることを意味している。
最近では「メタな」や「メタい」という表現まで多用され,日本語においては「メタ」という言葉が一人歩きしている感もある。「又」がそれに等しい語感を持つようになるには時間が必要だろう。