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{理由なき自由 K#F85E/4AC1}

近頃,希哲館趣意書等の執筆にあたって,希哲館の最大の特徴はその自由と独立性にある,という思いを強くしている。しかし,一つ不思議な事があった。

それは,ここまで厳格に自由と独立を,明確な信念を持って維持してきたにも関わらず,どうしても,なぜそうあるべきなのかという「理由」を記述できない事である。張り巡らされた理の中で,まるでここだけぽっかりと穴があいているようだった。

では,自由は瑣末な事なのだろうか,と考えてみると,それは陥いりやすい誤解だろう。よく考えてみれば,自由そのものの意義に理由づけをする,というのは明らかな倒錯なのである。

自由は,源であり,全てに先立つ。理由が自由そのものを規定する事はできない。理由なき自由こそが紛れもない自由なのであって,その捕われなさにこそ唯一無二の価値があるのだろう。