ばんぽん【盤本】プラットフォーム(platform)の希哲館訳語。
希哲11年7月30日考案,希哲11年8月9日本採用を決定。
CSS 変数(カスタムプロパティ)の導入と舞覧五年対応原則の採用を決めて終了。今後デライトでは,「5年以内に離立された版存の主要舞覧」を中心に対応していく。
希哲15年3月1日の開発から「デライト推奨動作環境」として同様の定義を考えてはいたが,当時は,古い舞覧対応の努力はするが推奨はしない程度の,もっと緩やかなものを想定していた。
希哲13年に ECMAScript 2015,HTML5,CSS3 と比較的新しいウェブ標準の導入を決めてからだいぶモダンにはなったが,まだデライトの舞覧対応方針には感覚的で保守的なところがあった。感覚的に,影響範囲の広い付徴は主要舞覧の対応から10年,影響範囲の狭い付徴は5年を目安に導入を考えていた。rem
ですら必要以上には使わなかった。
先日,前次記法実装でグリッド領当てを導入したが,これはちょうど主要舞覧で使えるようになってから5年ほど経つ機能だった。一記法の装体に過ぎなかったこともあり,ここまでは辛うじて良かったが,他にも色々応用したいことが出てきて舞覧対応方針見直しの必要を感じていた。
決め手は,デライトのダークテーマ対応も見据えて CSS 変数の導入を考え始めたことだった。CSS 変数も主要舞覧の対応から5年ほど経つが,本格的に導入するとなると影響範囲が広がり過ぎる。
Can I use で対応舞覧をよく調べるようになってから,「5年以内に離立された版存の主要舞覧」が意外に普及していることに気付いた。大体90%以上はある。
地域にもよるだろうが,確かに,今時古い舞覧を使い続ける方が難しいかもしれない。個人機なら5年は平均的な買い替え周期であり,スマートフォンなら古い部類だろう。自動更新も標準的になった。昔と違って,多数派の“普通の人”ほど新しい舞覧を使っている。
あえて古い舞覧を使い続ける場合というと,一昔前なら古い個人機の再利用というのがあったが,格安インターネット端末が普通に流通している今,新しい舞覧が使えないほど古い端末を使い続ける費用対効果は疑わしく,制危も考えれば推奨出来ることではない。
一番面倒なのが舞覧の更新が許されない企業内利用だが,そもそもそんな保守的な環境でデライトが利用出来るとは考えにくい。
こう考えていくと,デライトにとって古い舞覧への対応の重要性は極めて低いと言わざるをえない。
奇しくも,新生デライトの完成を目指している6月の15日に,IE11 のサポート終了がある。中途半端な気もする内容だが,いわゆるモダンではない舞覧最後の砦が崩壊する。新しいウェブ標準への社会的移行の象徴的な出来事にはなる。
ある程度古い舞覧への対応を考慮してきたのは,企業体力がついた将来,対応を拡充することを考えていたからだったが,これもよく考えると合理性が怪しい。
“技術的負債”は簡単に金で返せるものではない。大企業が肥大化した交度にいかに苦しめられているかを考えれば,合理的に古い舞覧への対応が出来る日が来るかどうかも分からない。むしろ,組織が大きくなった時にこそ見通しの良さが重要になる。
もっと根本的なことを言えば,デライトはウェブ標準という盤本の“キラーアプリ”になるべきものだ。新しいウェブ標準の普及を牽引していくくらいの考えがなくてはいけない。
その伝証の足掛かりがすでにこれだけ普及していれば十分過ぎるだろう。
舞覧五年対応原則の導入によって,ウェブの理想と現実における汚い現実の大部分だった古い舞覧を正しく切り捨てることが出来るようになり,前縁整備はもちろん,デライト文書整備でも大きな効率化がもたらされるだろう。文書整備では,対応舞覧についてどう説明していくかが一つの課題だった。ここまで絞り込めば説明もすっきりする。
デライト開発を劇的に合理化した描出公開原則とともに「デライト二大原則」と呼ぶべきかもしれない。思えば描出公開原則もデライト正式離立という大きな節目を目前にして生み出したものだった。
先日の一日一文「世界一“面白い”ネット献典を……という誤算」でも希哲館事業とネット文化のすれ違いについて書いたが,これは恐らく,単にネット人口が増えたことだけが原因ではない。
希哲館事業が発足した希哲元(2007)年というのは,日本人には「リーマン・ショック」でお馴染みの世界金融危機が始まった年でもあった。
振り返ってみると,確かにこの時期,日本社会にも大きな雰囲気の変化があったように記憶している。テレビでもネットでも社会の先行きに対する悲観論一色だったが,個人的に興味深いのは,ネット文化の変質だ。
この頃まで,例えばいま希哲館でやっている外来語翻訳であったり,独自の応司(OS)開発といった,日本の独自性を強化しようという活動はネットで散見されるものだった。
しかし,世界金融危機を境に,その気運が一気に萎縮してしまった印象がある。「長い物には巻かれよ」,「寄らば大樹の陰」と言わんばかりに,英語とアメリカ製盤本への追従がよしとされるようになった。「ギブ・ミー・チョコレート」ではないが,いま思えば,終戦直後の雰囲気に近かったのかもしれない。
不況ということは,企業に金が回らなくなり,何をするにも予算が減り,職にあぶれる者が増えるわけで,独自性や主体性なんてものは“贅沢”になる。生き残るためには自尊心より費用対効果だったのだろう。
今の希哲館事業は,元気で希望と野望に満ちていた頃の日本のネット文化を温存しているとも言える。ここから再びそんな気運を盛り上げていきたい。
デライト開発上の対舞覧戦略の一環として現時点での舞覧評価について検討。
品質,透明性,開発母体の中立性・利用可能な盤本の広さ,シェアといった点を総合して,やはり開発における模体に最も相応しいのは Firefox だろう。
次いで利用可能盤本の広さと圧倒的なシェアで Chrome。
Edge と Safari は意外に難しい。シェアでは Safari 優位だが,ではどっちに握接しやすいかというと,Windows があれば誰でもついでに使えるのは Edge だ。Chrome 用者の大部分が恐らく Windows を持っているだろう。
両者は応司固有舞覧だと思っていたが,Microsoft Edge for Linux なんてものがあるのをさっき知った。これで更に話がややこしくなる。
しかし,昔の KHTML を知っている者としては,その子孫(WebKit・Blink)がここまで繁栄していることに壮大なロマンを感じざるをえない。過大な期待から始まってそこそこの位置に収まった Firefox に比べ,Konqueror は地味に始まってずっと地味だった。