宇田川の造語。
OS に代表される最低抽象層(地)とクラウドに代表される最高抽象層(天)を同時に開発すること。
当初からの希哲社の事業戦略を「天地開闢」にかけた語。希哲11年7月25日考案。
希哲社では,希哲6年のデルンの実用化から希哲11年7月5日のSLFS への完全移行によって天地開発体制が確立した。
宇田川の造語。
OS に代表される最低抽象層(地)とクラウドに代表される最高抽象層(天)を同時に開発すること。
当初からの希哲社の事業戦略を「天地開闢」にかけた語。希哲11年7月25日考案。
希哲社では,希哲6年のデルンの実用化から希哲11年7月5日のSLFS への完全移行によって天地開発体制が確立した。
CentOS 問題をきっかけに Synicware 捌きについて検討して終了。
昔から,開発環境と捌き手の環境を統一したいとは思っていたがなかなか難しかった。SLFS でも捌き手を立てることくらいはなんでもないが,問題はパッケージ管理と更新だ。
しかし,最近の SLFS 開発の進展とデライトの存在を考えると,現実性が出てきた気もする。要求される可用性や堅牢性に関してはデライト中心に考えていいし,デライトは緩く運用出来るようにサービス設計してある。捌き手応司の開発そのものをデライトの献典にすることも出来る。もちろんツバメの宣伝にもなり,天地開発も加速するだろう。
まだ時間はあるので,移行を迫られる時までに Synicware を捌き手として使えるように整備しておくことにした。
昨日分のまとめをしながら,久しぶりに「天地開発」など希哲社の盤本戦略を思い出した。やはり新生デライト開発と SLFS 開発は車の両輪で進めていくべきなのだろう。希哲館事業はまた忘れかけていたものを取り戻した。
下信時間と換配時間などの問題については,デライト開発や輪郭整備などとの並行作業によってある程度緩和出来るだろう。このあたりは実践しながら模索していく。
散歩をしながら,見慣れているはずの近所の風景が,長年思い描いていた鎌倉の風景に見えてきた。不思議な気分だった。
短時間睡眠が続いた反動か,今朝はなかなか起きられなかった。やはり,粘り強く就寝時間を早めていくしかなさそうだ。
しかし,良い意味で感情が揺さぶられることが多い日で,最近では珍しく24時過ぎまで寝られなかった。
夕方頃には本日中のデライト再公開は不可能であると判断,29日に延期することを決めた。すでに神経も磨り減っており,限界に近かったため,少し気を休めて前のめりの態勢を立て直すことにした。もう追い込みで切り抜けられる局面でも年齢でもない。
こういう時のために月内に4日間のゆとりを持たせていたが,29日で駄目なら31日,それでも駄目なら9月一杯をかけてもいい。今のデルンならそれだけの価値はあるだろう,と思えた。
少し余裕を取り戻し,何気なく調べ物をしていたところ,PWA の存在に気付いた。以前からウェブアプリをネイティブアプリのように扱う技術があることは知っていたが,ちょうどデライトを考案した昨年頃から大きな潮流になっていたらしい。
気になって調べていくと,思っていたより今の希哲社の要求に合致していることが分かった。もともとアプリ版デライトは Android 向けネイティブで実装し,制約の多い iOS は当面無視するつもりだった。とりあえずは Play ストアでも利用して宣伝の一環に,という目論見だったため,PWA なら十分目的が果せそうだ。
何より,ここ最近の前縁改革で飛躍的に進歩した希哲社の前縁技術をそのまま活かせるのが大きい。幸い,Android アプリに関しては開発環境の手定め程度のことしかしていないため,現時点で捨てるものは何もなく,理想的な開発利素の集約を実現出来る。早速,アプリ版デライトは PWA で実装する方針に転換した。デライト再公開後の当努として最も重荷に感じていた部分でもあり,非常に身軽になった。
前縁改革では,νS や Aejs を中心に大きな技術改良があったが,その一方で,この時間の使い方が正しいのかという不安が常にあった。今日の延期も,基礎固めのような作業からなかなか抜け出せなかったことが主因だ。そんな不安が消し飛び,長年の天地開発戦略が報われたような出来事で,敗色濃厚という気分で始まった一日が大逆転で終わった。
私はいつの間にかクロスプラットフォーム〈cross-platform〉に対する批判者のようになっているが,もともと熱烈なクロスプラットフォーム信奉者だった。だからこそ,その限界に気付くのが早かったのかもしれない。
クロスプラットフォーム開発は,そう遠くない将来に衰退するだろうと私は考えている。クロスプラットフォームから「クローズプラットフォーム」〈close-platform〉へ,マルチプラットフォーム〈multiplatform〉から「ユニプラットフォーム」〈uniplatform〉へ,そしてフライング プラットフォーム〈flying platform〉へと発想が転換していくだろう。
「プラットフォーム独立」〈platform independent〉のようなものが幻想に過ぎないことは,恐らくクロスプラットフォーム開発等を深く研究してきた者ほど痛感しているのではないだろうか。クロスプラットフォームというのは,決してプラットフォームからの自由を意味しない。特定の論組〈プログラミング〉言語(開発環境)やライブラリが新しい「プラットフォーム」になるだけだ。こうして無駄な抽象化が増え,想品〈ソフトウェア〉は不毛な肥大化を続ける。
ここでいうプラットフォームとはほぼ OS のことだが,そもそも OS は働品(ハードウェア)の抽象化を主な目的とするものであり,少なくとも理論上は統一可能なものだ。その障壁になっているのは,開発思想や(無償・有償の違いを含む)価格の違い,Apple に代表される有力な働品銘家〈ハード メーカー〉でもあるプラットフォーマーの戦略など,あくまでも社会的な事情だ。本来,働品と異なり想品である OS には分裂している(多様である)こと自体に利益はない。規模が大きければ大きいほど用者〈ユーザー〉にとっての利益も増すため,シェアは自然に集約していく。これは,デスクトップ PC における Windows,スマートフォンにおける Android など実例には事欠かない。
しかし,そのプラットフォームを巡る社会環境も大きく変化している。まず,Windows を例外として主要な OS が Unix 流 に集約され,FLOSS の地位も大きく向上していることがある。一昔前まで,プラットフォームといえば独占的なものであり,共通化・標準化も今よりずっと遅れていた。現在では,Linux を利用すれば個人でも十分実用的な OS を開発出来る。また,仮想化技術の発展によって,OS を気軽に試すことも出来るようになった。そのような状況の中で,開発力のある企業にとってクロスプラットフォームの意義も大きく揺らいでいる。
もちろん,スマートフォンやタブレットの普及により,昔とは別の意味で対応しなければならないプラットフォームが増えた面もある。これに関して,私は「無視」することを勧めている。つまり,過渡期を乗り越えるためにウェブを二次プラットフォームとして活用し収益源を確保しつつ,その一方で Linux を基礎に本命の OS 開発を進める。高水準開発と低水準開発の二刀流というわけだ。もちろん,目的は世界で戦えるプラットフォーマーとなることだ。
この戦略を私はフライング プラットフォームと呼んでいるが,既にこれに似た戦略で大成功を収めた企業がある。他でもない Google だ。Google は,検索を核としたウェブ サービス群で知名度と収益を上げ,Linux を下敷きにした Android を普及させた。現在では時価総額世界首位の企業(Alphabet)になっている。希哲社の戦略が Google と被っていることに気付いたのは Android が普及したころだが,私も希哲社の戦略については相当考え抜いているので,先を越されて悔しいような,確信が深まって嬉しいような複雑な心境だった。
それはともかく,プラットフォームを横断するのではなく,プラットフォーム自体を「飛ばす」,つまり導入の敷居を徹底的に下げて飛躍的に普及させ,その上で開発資源を集中投入するという戦略が極めて現実的なものになりつつある。それにより,徹底的に最適化され無駄を削ぎ落した想品群を提供出来るようになる。クロスプラットフォームが衰退していくだろうという予測は,この戦略で台頭してくる企業の存在を前提としている。
この戦略には,最後の鍵がある。いわゆるキラー アプリケーションのような,そのプラットフォームならではの魅力だ。
クロスプラットフォームに限らず,想品が過度な抽象化傾向にある理由として革新的かつ魅力的な想品の不在がある。どの分野でもある程度の型が定まってきてしまい,差別化の計りようがなくなってきているわけだ。そこで,どんなプラットフォームでも動くというようなことに関心が集まる。要するに,「八方美人化」してしまう。こうなると開発資源も分散しがちで,ますます大胆かつ質の高い想品開発が出来なくなってくるという悪循環に陥る。
多少荒削りで頑固で融通が効かなくても,それを補ってあまりある魅力がアプリケーションにあれば人は無償プラットフォームの導入ぐらい苦にしないものだ。今こそ「プラットフォームを使わせるアプリケーション」をプラットフォームと一体となって開発するべき時だと私は思っている。