整理が付かないうちに夜遅くなってしまったため,この日考えていたことを翌日,翌々日に整理して書いている。
昼頃,何気ないことから鎌倉入りの目標を思い出し,持ち辺がまた一段と高まった。鎌倉入りに関しては5月26日の日記でも触れているが,この頃はまだ新黄金状態どころか今後の見通しすら立っていなかったので,全く違う新鮮な感覚だった。
夕方頃になり,極めて興味深い心境の変化を体験した。新黄金状態になってから失っている気がしていた人間らしい感情が戻ってきたのだ。
実は,新黄金状態になってからというもの,感情が冷たく,硬く,乾いたような,無機質な感じになっていることには薄々気付いていた。この前日の日記にも,非常に苛立ちやすくなっていることを記しているが,感情が快か不快かに単純化されているような気がしていた。
新黄金状態,もとい第二次黄金状態というのは,規則正しい生活と健康の上に頭脳の活性化,高い身体感度,高揚感・多幸感などが持続するという状態であり,それは偽りではなかった。確かに,毎日が自然に笑い出したり踊り出したりするほど楽しく,活力に溢れ,仕事も捗る。一見,理想的な状態だ。
それだけ素晴しい状態であれば,仏のように穏やかに,寛容に,慈悲深くなりそうなものだが,不思議と些細なことで苛立つようになり,他人には厳しく冷たくなっていた。まるでサイボーグにでもなったかのように,他者への共感や思いやりを急速に失っていた。
思えば,この新黄金状態における「楽しさ」も,どこか情緒に欠けていた。ただ身体が物理的な理想状態にあるだけで,それを維持するために違和感・不快感を反射的に排除しようとしていたのが例の「苛立ち」だったのかもしれない。最近,痒みが気になることが多く,肌の乾燥に注意していたが,心にも似たような問題があるのではないかという気がした。躁状態に似た傾向があることにも気付いていた。
この心境に変調が見られたのは,この日の夕方頃だった。午後になって熊本の豪雨による被害が報道されだしていた。この時私は,凶事があるたびに憂鬱な気分になっていた過去の経験から,少し災害関連の情報から距離を取ろうとしていた。なにせ,ついこのあいだ金魚が死んで落ち込んだくらいなので,とにかく折角の好調が崩れることを恐れた。ところが,不意に,老人ホームで14人が心肺停止という情報が目に入ってしまった時,少し気分に重石が乗ったような感覚があった。
この少し前,私は父に姪の動画を送っていた。姉が見せていなければ,父が動く孫を見るのは初めてだろう。朝方,飼い犬の花がひどく出血して心配になることもあった。父も花も老人と老犬なので,この時は何かと感傷的になっていたのだと思う。
このあたりから,心に人間らしい潤いと柔らかさ,温かさが戻ってきたように感じた。気持ちも穏やかになり,これまでとは違う,慈愛と熱情が溢れるような快感で満たされるようになった。これまで「新黄金状態」と呼んでいた時の精神状態とは明らかに様子が違い,「第三次黄金状態」という言葉すら脳裏をよぎった。
第二次黄金状態を「真黄金状態」ではなく「新黄金状態」という表現に留めたのは,これで究極なのか,まだ確信が持てなかったからだ。とにかく状態を安定させるために抑制が必要であり,それが人間らしさの排除に繋がっていたのかもしれない。そういう意味では,この変調した状態が第三次黄金状態と呼べるほど安定するかも分からない。
しかし,第二次黄金状態が人間らしさを失うものであれば,私が希哲館事業で目指すことが実現出来ないことも確かだった。超人的な「鉄の心臓」でどれだけ強力に事業を推し進めても,最後に凡人になれなければ私にとっては無意味だ。
第二次黄金状態を得てから,私はこれが,あの閃きの残光であるように何となく感じていたが,この日,確信に変わった。
17歳での閃きから間もなく,私はこの日のこれまでのように世界から遠退いていった。それから長い葛藤期を経て人間らしさを取り戻し,希哲館事業を始める。ちょうどさっき鎌倉入りについて考えたばかりだったこともあり,駆け出しの頃の自分を再体験しているようだった。
とにかく,この体験を可能な限り克明に記録しておきたかったため,この日記は例外的に翌々日までじっくり時間をかけて書いた。前日の日記に書いた「もっと穏やかに過ごせるようにしたい」という望みが次の日には叶ったのだから,それだけの価値はあるだろう。