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{日本海呼称問題と「朝日海」の可能性 K#F85E/46E8}

日本海呼称問題,つまり,現在一般に「日本海」と呼ばれている海域の呼び方についての国際問題において,私が日々確信を強めている新名称案がある。それが「朝日海(あさひかい,Sea of Korea-Japan)だ。

日本海呼称問題の主たる当事者は,日本韓国北朝鮮だが,韓国や北朝鮮が「東海」や「朝鮮東海」といったやや独善的な名称の国際化を提案しているのに対し,日本が「日本海」の歴史的正統性と国際的普及度を盾に一切の変更を拒んでいるという状況にある。「東海」の類が国際的な呼称として論外であることは言うまでもない。言葉としての自然さや実用性,客観性にも欠けている。しかし,日本の姿勢にも問題がある。2006年11月,当時の韓国大統領・盧武鉉(ノ・ムヒョン)が当問題に関して「平和の海」という名称を提案したことに対し,日本の首相・安倍晋三が即座に拒否する場面があった。お世辞にも「平和の海」の出来が良いとは言えないが,日本は日本で,これまでの歴史に固執するばかりで,これからの国際関係への前向きな歩み寄りの姿勢に欠けている。弱腰外交という批判をおそれるあまり,柔軟性に欠ける硬直した外交姿勢をとりがちなのは,むしろ日本人の臆病さを露呈しているようで情けない。日本人が柔道で体現した「柔能く剛を制す」という言葉を思い出さなければならない。

周知の通り,この3カ国の関係はゆるやかに悪化の一途をたどっている。日本海呼称問題はこの3カ国関係を象徴しているとも言えるかもしれない。どの国も中庸の精神に欠けている。反対に考えれば,この状況を打開する外交政策として,日本海呼称問題の解決を考えることも出来るだろう。日本はこれまで譲歩案を出さなかったが,断固拒絶の一つ覚えよりは,もう一つの外交カードとして用意しておくに越したことはない。そこで私が提案するのが「朝日海」(あさひかい),英語でいえば〈Sea of Korea-Japan〉だ。

「朝日」(あさひ)は,日本人が親しみやすい言葉だ。「日本」という国名は「日の本」の意で,日の丸は朝日(旭日)の意匠だ。旧日本軍自衛隊が使用している派手な旭日旗は,日本の栄光と発展を象徴する。つまり,「朝日」という言葉は「日本」の暗喩として機能するから,「日本海」を比較的自然に置換えられる。これなら日本の右派も納得してくれるだろう。

面白いのはここからだ。「朝日」は「朝鮮と日本」とも読める。朝鮮半島日本列島の間にあるから「朝日海」というわけだ。英語では〈Sea of Korea-Japan〉と表記する。誰が見ても,この海がどこにあるかは明らかで実用上の問題もない。仮に,いますぐ全ての地図の〈Sea of Japan〉をこの表記に置換えたところで,大きな混乱は起きないだろう。「日」より「朝」が先なのも都合が良い。西が左に,東が右に来る一般的な地図上では直感的な表記で,その意味では中立的だし,韓国・北朝鮮の顔も立つ。朝鮮半島では「日本より朝鮮半島が優先されている」などと都合よく解釈してもらえば良い。受け入れてもらえなければ意味がないのだから。問題があるとすれば,韓国では「朝」より「韓」の字にこだわるため,その点で何らかの異義が唱えられる可能性があることだが,こればかりは当事者に北朝鮮が含まれる以上仕方がないし,説得できるだろう。

日本で「あさひ」は,『朝日新聞』および朝日新聞社系の企業テレビ朝日等を含む)か「アサヒビール」を連想させ,特に漢字で書くと『朝日新聞』の方を強く連想する。これも実は都合が良い。『朝日新聞』はいわゆる左寄り,朝鮮寄りの論調であるとみなされている。これで「朝日」に伴う日本主義,帝国主義的なイメージを相殺できる。日本・韓国・北朝鮮それぞれの国で様々な感覚を持った人々が関係する以上,重要なことは解釈の多様性で,妥協点としての説得力だ。この点において,「朝日海」以上の名称はないだろう。

そもそも,「日本海」などという安直で大雑把な名称は,どうみても日本人の伝統的な感性で付けられたものではない。実際,19世紀頃から貿易や外交,航海上の都合で国際的に定着したものだ。したがって,変えるにせよ変えないにせよ,国際交流を円滑にすることを第一に考えるべきであって,過度に民族感情を持ち込むべきではない。「東海」が論外なのはそれが朝鮮半島の主観的な呼称でしかないからで,日本政府の姿勢が問題なのは,新しい国際関係を軽視しているからだ。20世紀なら「欧米で認められている」で済んだだろうが,いまアジア諸国,ましてや隣国との関係を軽んじる外交姿勢は時代錯誤も甚しい。表現として的確で,実用上の混乱が無く,誰も感情を害さない,より良い選択肢があるなら,それが国際的な統一呼称の意義・目的にもっとも適っているのではないだろうか。