言葉の場合,誤解から始まっていてもその言葉を使うことに一定の合理性がある場合は誤用とはいえない。
デラングでは,文書構造と装体の記法をあえて混在させることにした。これまでも混在はしていたが,考え方として整理出来ていなかった。
HTML と CSS 的な「文書構造と装体の分離」に従って文書構造の方に徹するという考え方は,実はあまり軽標記言語には向いていない。
記法に厳密な意味を持たせ過ぎると気軽に使いにくくなるし,装体に関する記法が無いと結局誤用される。「文書構造と装体の分離」とデラングが最も重視している「直感性」はしばしば相反する。直感に従って書けば上手く文書構造と装体の分離をした変換がされる,というのが理想と言えるだろう。
例えば強調記法と太字記法のように,デラング内である程度の使い分けが出来るように設計していくべきだろう。これは実装経験を積みながら感じていたことだった。
言葉の誤用には色々あり,中には新しい意味として認めるべき誤用というのもある。「ホームページ」はもはや誤用ではない,と以前書いたのは擁護の例だが,全ての誤用が正当化出来るわけではない。私がそう考えるのは「課金」の誤用だ。
「課金」とは「金を課する」という意味の語だ。つまり,サービスなどの提供者が利用者に対して料金を課するという意味で使う。しかし,これが提供者に対して利用者が料金を支払うという意味で誤用されるようになった。インターネット上のサービス説明などで「課金」という語が使われることが多く,これが低年齢層を中心に誤解されたことによるのだろう。
この誤用が許されないのは漢字の意味を無視しているからだ。日本語の語彙の多くを構成している漢字が正しく使われなければ一貫性が失なわれ,旧来の語の理解も難しくなり,今後の日本語の発展にも悪影響を与えかねない。しかし,「課金」の言い換えは思いのほか簡単な問題ではない。「料金を納める」という意味だけなら「支払い」や「納金」などいくらでも代替語は考えられる。現に提供者の事務的にはこれらの語で済んでいて,特に新しい表現を考える必要はない。実は消費者たちの間で使われる「課金」にはそうした事務的な表現に収まらない意味があるのではないかと思う。
誤用としての「課金」はいまでは一種のネット乱語〈スラング〉になりつつある。もちろん単純に間違っているだけという場合もあるが,幼稚な誤用であることをあえて皮肉に利用している場合も少なからずある。つまり,ソーシャル ゲームの課金のように,傍目には下らないことに金を投じている者を揶揄したり,当事者による自虐の意図でも使われている。そういう場合に「課金」というのが丁度いい語感を持っているのも確かだ。この部分をいかに取り出すかが問題になる。
そこで私は「貢金」(こうきん)という表現を考えた。着目したのは,「課金」とともに使われることも多い「搾取」や「貢ぐ」という表現だ。これらは「課金」の誤用にどのような含みがあるか,ということをよく示している。「貢金」ならば,「課金」の誤用を正しつつその真意を上手く表現出来そうだ。
「ホームページ」(homepage)という言葉は,専門用語でいう「ウェブサイト」(website)を指すものとして,日本では広く定着している。日本の官公庁や自治体等の公式ウェブサイトでも,「ホームページ」の語が使われていることが多い。
こうした状況はワールド ワイド ウェブが普及しはじめた時期からあり,情報系の専門家や,インターネットに詳しいアマチュアたちによって長らく「単純な誤用」として片付けられてきた。ある程度ウェブについての知識を持つ者にとって,ここまでが「ホームページ」という言葉を巡る常識だ。
しかし,言葉が広まるということには理由がある。「ホームページ」というのは,実はとてもよく出来た言葉なのだ。
まず,「ホーム」(home)も「ページ」(page)も,極めて初等的な英単語だ。「ホーム」なら,日本語では「マイホーム」,「ホームルーム」,「ホームシック」,「ホームレス」,「ホームヘルパー」,「アットホーム」,「ホームラン」などの野球用語,ハウスメーカーの社名等,いたるところで使われているし,「ページ」は,本をめくったことがあればほぼ全ての人が知っている。耳にしたことがある,というだけでなく,その意味についても子供から老人まで広く理解されている。これを組合わせたのが「ホームページ」という言葉だ。
一方で,「サイト」(site,用地)は,カタカナ英語としてはさほど使われていない。いま日本語で「サイト」(site)といえば,ほとんどウェブサイトを指しているか,「sight」(視野,照準,観光地……)の方を指しているだろう。ちなみに,東京ビッグサイトは「sight」の方だ。日本人にとって,「ウェブ」(web,クモの巣)はさらに耳なじみのない言葉だ。これを組合せると「ウェブサイト」になる。
問題は,元になっている言葉の平易さ,だけではない。「ホームページ」という言葉は,実は造語としてとらえても直感的で優れていると言える。ウェブサイトというのは,人間にとっては非常に新しく不思議なものだ。本のようでもあり,住所(アドレス)があって,人が往来したり活動したり出来る空間のようでもある。このような性質を,「ホームページ」という言葉がぴたりと表現しているのだ。「ホーム」には「拠点」というニュアンスもあるから,例えば「我が社のホームページ」といった場合にもイメージが伝わりやすい。
「ウェブページ」や「ウェブサイト」という言葉は,「ワールド ワイド ウェブ」(世界規模のクモの巣)という技術を前提として,その情報単位(ページ),ひとまとまり(サイト)を指している。イメージを掴むために必要な情報量が多く,お世辞にも上手い造語とは言えない。あくまでも,一定の前提知識を要する専門用語だ。
以上を踏まえて私は,日本語において一般向けには「ホームページ」,専門的には「ウェブサイト」と適材適所に使い分けていくことを考えている。これはもはや誤用とはいえないだろう。