WordPress は,ブログ ソフトウェアの一つである。
2003年,マット・マレンウェグとマイク・リトルによって開始。
高い利便性を誇る一方で,負荷の高さもよく指摘されている。
WordPress も,希哲元(2007)年から使ってたものだと思うとなんか凄いな。当時はまだ Movable Type も有力視されていた。まさか,ブログがここまで WordPress 一辺倒になるとは思っていなかった。
少し気持ちも落ち着いてきたため,利楽しながら作業を進めた。それでも並程度の進捗ぶりではあった。
短期集中生活とはいえ小休養の必要は感じながらも,連日興奮気味でまともに睡眠も取れないということが続いていた。ここで少し呼吸を整えたい。
一日一文の歴史を遡っていて,久しぶりにブログ『道草録』を思い出した。希哲館事業最初期から WordPress で運営していたブログで,ある面でデルンの前身と言えなくもない。この「道草」という言葉は,希哲館事業の途方もない大きさを前に全てが手探りだった当時の心境をよく表している。色々な想い出が蘇えり,少し涙ぐんでしまった。
題名も気に入っていたので,希哲8年頃に私の随筆集として『道草録』を再始動させようと考えたこともあったが,何となく立ち消えになっていた。一日一章を始めて間もない頃だったので,いずれ関連させようとは思っていたのだろう。
ここで,一日一文を『道草録』の素材にすることを思い付いた。これも一つの希哲館累新だ。
考えてみれば,月庭・デライト転送の開始以後,kitetu.com から窓口になるような献典が無くなっていた。ほぼ毎日書いている文章といえば『希哲日記』だが,これは当時の心境や事実を記録することに主眼を置いたもので,人に読ませることを意識したものではない。『希哲日記』に書き切れないことを書いておく所としても『道草録』という題名は好ましい。
読み手を意識した文章として,メリハリを付けるためにも一日一文には敬体を使おうかと思ったが,気を使い過ぎて書きにくくなってしまう恐れがある。多少ぶっきら棒なくらいが良さそうなので,まずは常体で書き始めることにした。
続けるのが難しかった最大の理由は,書き始めるとついつい凝り過ぎてしまうということにあった。1時間以内で書こうと思っていても,結局数時間かけてしまうことが多かった。それが普通になると書き始めるのにも気力が必要になってしまう。