(しん)
最初の中国統一王朝。希哲前2226年(前221年)から前2211年(前206年)までのおよそ15年間という短命王朝だったものの,現代に通じる地域としての中国や漢字文化圏における皇帝といった観念の基礎となった。英語における〈China〉などの語源でもある。
秦最初の君主は「始皇帝」を名乗り,中国における「皇帝」の地位を確立した。また,始皇帝は法家を尊び,儒家を含めその他の思想を抑圧した(焚書坑儒)。
前210年,始皇帝崩御。
前209年〜,陳勝・呉広の乱,農民反乱。陳勝は旧楚の都・陳城に入城し,張楚を国号として王位についた。呉公は仲間。
陳勝 (?-209 BC)、呂臣に殺害される。
楚王・義帝 (項梁が擁立) が後の形式上の反秦指導者となる。関中をはじめに平定したものを関中王にすると約束した。
項羽は軍事力をもって実質的に反秦運動を牽引する。
項羽に先んじて劉邦が関中に入る。秦軍を次々と撃破した項羽だったが,関中は先に劉邦が占領していた。これに項羽は怒る。
項羽の叔父,項伯は,旧友であり恩人でもある張良を助け出そうとするが,張良は劉邦から離れようとしなかったため,項伯が劉邦と項羽を調停する役目を担うことになる。
前206年,鴻門の会。
劉邦は漢中(巴(は)・蜀も含む地)に封ぜられ,漢王を称する。漢中で三傑の一,韓信と出会う。
楚漢戦争へ。