駄目な国でも愛せるのが愛国心

描主宇田川浩行#F85E
下描き希哲10年(2016年)
02月01日 00:07
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

現代日本において,「愛国」は若干気持ち悪いものだと思われている。確かに,例えばアメリカ人のいう「パトリオティズム(patriotism)とは何かが違う。これを戦後教育の弊害,などと片付けるのはたやすいが,はたしてそれだけだろうか。

一般に,日本社会でおおっぴらに愛国心を表明することは憚られているため,近年ではインターネットでその手の発言をする者が多く,その中でも極端な者はやや侮蔑的に「ネット右翼」などと呼ばれている。

いわゆる「ネット右翼」的な発言を眺めていると気付くことがある。彼らは,日本をとにかく賛美する。ときに妄想的なほど賛美する。さらに,少しでも批判的なことを言われたりすると,感情的に排撃しようとする傾向がある。彼らにとって日本は,世界で一番偉大で美しい国でなくてはならないようだ。そのような日本を彼らは愛しており,その日本人であることに誇りをもっているようだ。裏を返せば,「駄目な日本」を愛せないわけだ。

私自身も日本を愛していると思うが,彼らの表現には違和感を覚えることが多い。私は,日本がどんなに駄目な国であろうと,日本を捨てるつもりはない。日本列島が荒廃して無人島のようになろうと,私は最後まで居座り復興に尽力したい。それを殊更「愛」と表現する必要すら感じないが,だからこそ,日本がどれだけ偉大か,などという議論で時間を潰している人々に強い不信感を抱く。そんなことは,ありのままの日本を無条件に愛している人間にとってはどうでもいいことなのだ。

そもそも,日本を愛しているという割に,日本史日本文化に対する理解が浅すぎたり,日本語すらまともに使えていない者が多すぎる。要するに,彼らにとって「愛国」とは何ら労せず,手軽に自尊心を得られる宗教なのだと思う。なかば妄想で作り上げた「素晴しき日本」に耽溺するばかりで,その日本に貢献しようという努力の跡がほぼ見られない。

つまり,国家に対する参加者としての意識の稀薄さが,日本人の「愛国」を悪い意味で宗教的なものにしてしまっているのではないかと思う。以前,私は「愛国心と興国心」として,精神的なよりどころを国家に求めるための「愛国心」よりも,自ら国家を担おうとする「興国心」を重視すべきだと論じたことがあるが,実はその「愛」が偽物ということの方が根本的な問題だったのかもしれない。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.1号
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