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{「YouTuber」と Google の広告センスの駄目さ K#F85E/E8CA-81B4}

最近,動画共有サービスYouTube で自ら投稿動画に出演し,一種のタレントとして生計を立てている「YouTuber(ユーチューバー)が良くも悪くも話題になることが多い。YouTube 社が彼ら YouTuber を取り上げた広告を積極的に出すようになったためだ。

この現象は,今後のインターネット文化を考える上で様々な教訓を含んでいると思う。端的に言えば,私はこういった現象が,インターネット文化の未熟さを象徴しているような気がするのだ。

YouTuber はなぜ嫌われるのか?

YouTuber と呼ばれる人々は,世間で異様に嫌われているように見える。いわゆる「アンチ」の存在とバッシングが,これまでの芸能人などと比べて極端に多いことが彼らの特徴でもある。それは,インターネットという鳴体メディア〉の性質を考えれば不思議なことではない。

テレビなど,影響力が大きくチャンネルの少ない鳴体では,必然的に大衆に広く支持される演者と内容が必要とされるが,インターネットはそうではない。10万人の熱心な支持者を集めれば,その他大勢に嫌われても十分な収入を得られるのがインターネットの世界だ。本来,YouTube には,そういった小さな輪をたくさん作れるところにテレビとは異なる良さがあった。その環境で育まれたのが YouTuber 達だ。

悪意の無い人が他人に嫌われるのは,多くの場合「出過ぎる」からだ。テレビ タレントでも,いわゆる「ゴリ押し」などという過剰な露出をさせると,必ず視聴者から相応の反感を買うことになる。つまり,YouTuber が嫌われてしまう理由は,本来自分たちが持っている資質や支持層をはるかに超えた露出をしているということに尽きる。支持基盤があまりにも脆弱なのだ。

彼らの多くは,「少し面白い近所のお兄さん・お姉さん」でしかない。動画の対象年齢は低く,特に人気があるとされている YouTuber の支持層はほとんど小中学生であったりする。お世辞にも,大人の鑑賞に耐える内容とはいえない。ところが,YouTube のシステムの不味さもあって,彼らの動画が無差別かつ執拗に表示されてしまうという問題がある。これが非常に鬱陶しく,YouTuber に対する不満の多くがこの種のものだ。

Google の最悪な広告センス

しかし,私は YouTuber に少し同情している。現在のインターネットにおいて,大人が安心出来て,子供も楽しめる献典コンテンツ〉は少ない。有名 YouTuber の動画のように,誰が見ても面白いというわけではないが,毒気もない献典にはある程度の価値がある。日々動画を配信するのも,見た目以上に疲れる仕事だと思う。見たい人だけが見ている分には,彼らに非難される筋合いはないだろう。

彼らに向けられている批判の多くは,どちらかといえば YouTube 社,あるいは同社を傘下置く GoogleAlphabetに向けられるべきものだと私は思う。

ここまでインターネット文化に多大な影響を与えている企業に言うのもなんだが,あまりにもその文化に理解が無いと言わざるを得ない。インターネット文化を支えるのは結局のところ技術であり,彼らは世界最高水準の技術集団であるがゆえに,「技術馬鹿」かつ「文化音痴」としてこの世界に君臨してしまっているのだ。その分かりやすい例が,Google や YouTube における広告センスの無さだ。

実は,私はかなり以前から Google 社の広告に強い違和感を覚えていた。同社の広告には,「Google のサービスを賢く楽しそうに使う人々」をやや過剰に演出する嫌いがある。そのノリがはしゃぎ過ぎであったり,気取り過ぎであったり,妙に浮いて見えることが多い。正直「そんな奴いるか?」と毎回感じてしまうのだ。

最近だと,音声検索「OK Google」(オーケー・グーグル)スマートフォンに呼びかけて調べ物をする CM があるが,これがなかなか気恥ずかしい。不自然なまでに自然に音声検索を使いこなしているのだが,そもそも「OK Google」という台詞自体かっこよく無いので,全体的に間抜けな絵面になっている。こういう場合,少し戸惑いながら使っているように演出した方が違和感は少ない。

マイクロソフトAppleGoogleの三大情報技術名社(国際大手企業)にも,それぞれ広告の特色がある。

マイクロソフトの広告は事務的で無難な印象を受けるものが多かったが,最近はちょっとユーモアのあるものもあり,割と洗練されているように感じる。武井壮さんが出演している Windows 10 の CM は久々に面白かった。Apple の広告は,お洒落感の演出と Windows に対する嫌味が鼻につくことが多かったが,それもやはり一定のセンスあってのものだ。

この中で最悪なのはやはり Google で,演出が単に空回りしていることが多い。「自社のサービスを賢く楽しそうに使う人々」というのは,経営者などであれば誰でも最初に思い浮かべる絵なのだが,裏を返せばその域をまったく出ていない。単に,「Google の夢想図」を表現しているだけで,ひねりや芸を加えていないのだ。Google 傘下の YouTube も例外ではない。このことを私は YouTuber 関連の広告で確信した。

YouTube が打ち出している YouTuber の広告にも,やはり「楽しさの空回り」が見られる。「好きなことで、生きていく」という実は恐しい獲句キャッチコピー〉とともに YouTuber がいかに楽しいか,ということをまくし立てるような映像に出てくるのが,不気味に浮かれた人にしか見えない。

日本人は「好きなことで、生きていく」が好きではない

日本人は,世界的にみて突出した安定指向の集団だ。歴史的にも,日本統一王朝としての秩序を古代から(まがりなりにも)保ってきた国であり,これが堅実を重んじる風土に繋がっている。

何が言いたいのかというと,日本人は,「好きなことで、生きていく」というような考え方をする人間を「堅気ではない」,もっと言えば「ヤクザまがい」と感じるのだ。大人であれば,経験則としてそれが危険な思考であることを知っているし,実際,YouTuber の経済基盤が磐石なものでないことぐらいは一定以上の社会・経済知識があれば誰でも分かることだ。

「好きなことで、生きていく」が「楽をして生きていく」ではない,ということは作り手も分かっているはずだ。YouTuber が真に職業としての地位を確立しようと思えば,その苦労は計り知れない。しかし,こうした広告は判断能力に乏しい子供を多く対象に含んでいる。だからこそ,YouTuber の演出の仕方はもう少し考えるべきだと思う。

例えば私なら,YouTuber としての仕事にどういう苦労があって,その上にどういうやりがいがあるのか,ということをもう少しドキュメンタリー的に演出する。YouTuber に対する世間の目が厳しくなってしまうのは,単に甘い面だけを見せるだけで,仕事としての重みを感じさせることが出来ていないからだ。これでは大人の目には魅力的な人間としても映らない。実際,有名 YouTuber は見えないところで相当な努力をしているわけで,それを隠して,子供騙しの薄っぺらな人間に見せているのは YouTube 社の誤ったイメージ戦略でしかない。

現在の YouTuber 関連広告を見ていると,昔のアニメ映画『ピノキオ』を思い出す。この作品には,「遊んで暮らせる」という遊園地があり,学校に行かない子供たちが集まってくるのだが,結局はロバに変身させられ売り飛ばされてしまう。YouTube 社にそんな悪意はないだろうが,このままでは結果的に子供は金づるにされるだけだ。

「壊れたテレビ」化する YouTube

結局のところ,本質的にテレビを超えるような想像力を,どのインターネット企業も持っていないのかもしれない。インターネットにおける多くの鳴体が,その美点を捨ててテレビの下手な後追いをしていくのは哀しいものだ。YouTube 社にも,用者ユーザー〉が求めているのはテレビにも劣る「タレント」の押し売りではない,ということに早く気付いて欲しい。