デライトに触れた多くの人が,デライトは“抽象的”だと言う。それもそのはず,我々が認知しうる物事の関連性を徹底的に抽象化することにより,あらゆる物事の関連性を一つの原理で捉えられるようにしたのがデライトの基礎にある「輪郭法」なのだから。
日常的な会話の中で「抽象的」と言うと,捉え所が無いとか曖昧といった悪い意味に受け止められることが多い。しかし,抽象化という能力は,数学はもちろん,情報工学の世界でも無くてはならないものだ。
工学における抽象性は,「汎用性」に近い意味を持っている。個別のものに共通する性質を取り出し,それらを一つの仕組みで捉えられるようにする。これが上手く出来ないと,論組すら難しい。
……などと御託を並べても,実際問題,デライトを多くの人に使ってもらうには,この抽象性が大きな壁であることに変わりはない。抽象的に物事を捉える能力には個人差が大きく,それも得意だという人の方が珍しい。当然ながら,これは市場戦略上の課題になる。
これを上手く解決する方法があるのか,実は開発者の中でも答えは出ていない。探せばあるのかもしれないし,結局無いのかもしれない。無いとしても,この抽象性がデライトにとって必要なものなら,無理にでも壁を乗り越えるしかない。
デライトは,これまで勘報機でも多く利用されてきた単純な階層構造やネットワーク構造の限界を越えるべく開発されたものだ。
特に「フォルダ」などとして広く使われている階層構造は,抽象性の反対,具体性(具象性)と非常に相性が良い。いくら欠点があっても,人類が階層構造から離れられなかった大きな理由だ。
個人機(PC)の普及に大きく寄与したのが「デスクトップ メタファー」であったように,具体的なモノ同士の関係として表現した方が多くの人は理解しやすい。その一方で,具体的なモノにはモノゆえの限界がある。
我々は,頭の中で多くの概念を縦横無尽に結び付けている。A にも B にも含まれている C という概念を頭の中では当たり前に扱えるが,フォルダのような物理的な入れ物 A と B に同時に入っている C というファイルを想像することは難しい。
こうした限界を越えようと様々な技術が開発されてきたが,フォルダのような“具体的”表現に頼っている限り,どうしても不自然で気持ちの悪いものになってしまう。「パソコン音痴」な人は,Windows のショートカットですら実体と区別出来ず混乱してしまうことがある。
それならいっそのこと,こうしたメタファーを廃してしまった方がいいのではないか。デライトの設計はそんな考えに基いている。だから,モノに喩えるのではなく,頭の中を直接表現した抽象画のようになっている。これをデスクトップならぬ「マインドトップ」(mindtop,念頭)と表現したこともある。
下図のように,デライトにおける「輪郭」は,視点によって一つの中身を共有出来る入れ物になっている。立体階層構造とでもいうべきこの構造を「輪郭構造」と呼ぶ。
この輪郭構造が,階層構造とネットワーク構造を{統合 K#F85E/A-3DCF}し,真に人間の{認知機能 K#F85E/A-E74C-CB77}に{調和 K#F85E/A-D4CF}するものになっている。大分長くなってしまったので,これについては後日改めて{解説 K#F85E/A-1EE6}しよう。