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{テストを「手定め」と訳す K#F85E/D64E-7FD6}

テスト」というのは非常に興味深いカタカナ英語だ。日本語では子供でも当たり前のようにこの言葉を使っているが,その意味を正しく説明するのは難しい。試験という言葉がありながら何故我々は「テスト」を使ってしまうのか。私はその理由を解明し,その概念を日本語として消化するために考察を重ねてきた。そして,「手定め」という訳語を考案するに至った。

はじめ,私が考案した訳語案に「徹試てっしがあった。「テスト」には「試験」よりも対象に付き添うような語感がある。これ以前,私は「設計」と「デザイン」の本質的な差を「対象への付き添い方」と考え,デザインに「徹案てつあんという訳語を与えたことがあり(「デザインとは何か……翻訳的考察」),この前例を援用したのが「徹試」だった。これはこれで気に入っていたのだが,いざ使ってみると漢字語としての語感が重すぎるように感じた。「テスト」はあらゆる場面でかなり気軽に使われる言葉でもあるので,もう少しやわらかい語感であることが望ましい。

他にも様々な語を考えてみたが,大和言葉の「を使う案に魅力を感じた。そもそも,テスト〈test〉という英単語は「土製の壺」という意味のラテン語に由来し,これが錬金術実験に用いられたことから「試す」の意になったものだ。広い意味での試験〈examination〉よりも対象との距離が近いような気がしたのは,まさに「手を加える」ことだったからだ。

しかし,「手」は良いが組み合わせる言葉がなかなか見つからなかった。試し手手知り手据え手試し……時には「手捨て」などというふざけたものも含めてひたすら案を出した。そんな時,ふと「定める」という言葉が思い浮かんだ。見極める見据えるというような意味で「見定める」という言葉があり,ものの良し悪しを判定するという意味で「品定め」や「物定め」という言葉もある。これに「手」を加えれば「手定め」となる。学校で,授業内容を確認するための小規模なテストを「小テスト」などというが,これを「小手定め」と表現すれば「小手調べ」のようなものだと分かりやすい。伝統的な語彙との親和性が高いのは,言語文化を正しく踏襲した良い訳語の特徴だ。

「手定め」の翻訳技術的な特筆点としては,組み合わせに全く無駄がない,ということが挙げられる。大和言葉としての解釈は「手で定める」と「手を定める」の主に二通り考えられるが,「手」は行為や手段,さらには行為の主体を漠然と表現するのに使える語であるため,「手(働きかけ)で手(対象)を(見)定める」という二面性(ダブル ミーニング)でテストという概念の全体性を表現することが出来ている。

直訳的に「試し」のような表現を使っていないのも実は良い所だ。「手試し」も一見悪くない案だが,この場合の「手」は「試し」の広く浅い印象を限定しているだけで,音写の役にも立っていない。ゆえに取って付けたような感が否めない。不足こそないが,全体としてやや冗長でゆるい表現に感じられる。一方の「手定め」は,「試し」とは異質な要素を組み合わせ,試しの一種であるテストの意を狭くも無駄なく表現している上,大和言葉では限界に近い音写にも成功している。

考案してから半年近く経ったが,「手定め」は「テスト」と音声的な距離も近く,適度に簡潔で使いやすいと感じている。日本語では「テスト」の一語で英語におけるテスティング〈testing〉,テストすること)の意を兼ねることが多いので,「テサダメ」は原語に比べて必ずしも冗長ではなく,質としてはあらゆる面で申し分ない。希哲館では積極的に使っていくつもりだ。