私刑。
この話題にそれほど関心があるわけではないのだが,たまたまちょっと違和感を覚えるツイートを見つけたので指摘してみる。
<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja">「ベッキータイキック事件」は傷害だというTweetが回ってきたけど、あれはそもそも「ベッキーが田中にタイキックを仕掛けたら逆襲された」という流れで、ベッキーはいろんな番組でドッキリの仕掛け側をやってきたタレントでもあるので、プロレスラーと同じで「演者のお互い様」だと思う。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2018年1月4日</blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <blockquote class="twitter-tweet" data-conversation="none" data-lang="ja">そういう茶番芸と関係ないタレントにあれをやったらさすがに引くけど、茶番芸で生きてきたタレントが茶番芸の番組に出て、茶番芸の被害者側という役をもらったのだから、あれぐらい嫌がるリアクションを見せなきゃ芸になってない。それが茶番芸という芸だと思う。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2018年1月4日</blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> まず,{『ガキの使い』 #F85E/A-4686-AAD3}は,昔から「演者がひどい目にあうことで笑いを取る」傾向の強い{番組 #F85E/A-200B}で,長年のレギュラー出演者たちはそれを業界の中でも恵まれた仕事として,喜んで引き受けてきた。その番組の企画である「笑ってはいけない」に出演するにあたっても,自分たちがキックを受けるということは企画の大前提として当然共有されている。一方のベッキーさんは,少なくとも番組内容上は自分がキックを受けることを知らされていない。視聴者に提示されているのは,あくまでも「唐突かつ不本意にキックを受けるベッキー」であり,それが番組の意図だ。これは明らかに非対称な関係で,「お互い様」で片付けるのは流石に乱暴だろう。 ここで注意すべきなのは,「裏で本人に同意が取れていたか」や「演技かどうか」は問題の本質ではない,ということ。それはどう論じても本人と近しい関係者以外には推測の域を出ない問題であり,仮に全てが演出と演技だったとしても,「罰を与えてしかるべき(番組中で禊と表現されている)」「罰を与えても反抗出来ないだろう」との認識を共有した衆人環視下で,強制的に苦痛を与えられ悶えている人がいる,という「本当のような映像」を面白いものとしていること自体の倫理的問題は,そう簡単に片付けられない。これが{パワハラ #F85E/A-1558}や{私刑 #F85E/A-CC8A}と隣り合わせの問題である,ということに関してはあまり擁護のしようがない。 このツイート主自身が自分で言っているように,「引く」かどうかはタレント イメージの問題,つまりごく感覚的な問題に過ぎない。でも,それって「お前そういうキャラじゃん」で行なわれる{イジメ #F85E/A-6BC9}とどう違うのか,とも言える。 私はそもそもこのネタ自体が単純に笑いとして退屈だと思うし,その微妙な気持ち悪さに気付かない人は控え目にいっても「無神経」か「悪趣味」だなと感じる。「笑いの倫理問題」って結局のところ,「倫理問題になってしまうほど笑いが面白くない問題」であることが多い。ついでに言うと,演者のタレント性なんて制作側がどう利用するかの問題であって,視聴者が把握しているベキ問題ではないし,他に同様の問題があることは当の問題を無視していい根拠にはならない。1916年5月8日,アメリカ合衆国テキサス州ウェーコで,農場で働くアフリカ系アメリカ人のジェシー・ワシントン(当時17歳)が,ルーシー・フライヤー(当時53歳)の強姦・殺人容疑によって逮捕された。
同15日,取り調べ・裁判の過程に不審点があったにも関わらず,ほぼ白人で占められていた陪審員の決断は早く1時間程で死刑判決が出た。
退廷しようとするワシントンであったが,興奮した傍聴人達はワシントンに掴みかかり裁判所から引きずり出した。さらに,ワシントンは首に鎖をかけられ町の広場まで引きずられた。広場に着き,裸にされ殴る蹴るの暴行を受けたワシントンは,そのまま木に吊るされ,全身に油をかけられた。暴れるワシントンの指や爪先,性器を切り落とした群集は,ついに火をつけてワシントンを焼き殺した。
この騒ぎは野次馬を集め,最終的には1万人を超える群集がこの私刑を傍観していた。木に吊るされたまま黒こげの遺体となったワシントンを笑いながら観ている群集の写真が残っている。
合衆国においてこの事件は,当時の同国南東部で多発していた人種差別にもとづいた死刑(リンチ)事件の代表例としてよく知られている。