翻訳とは何か

描主宇田川浩行#F85E
上描き希哲8年(2014年)
10月03日 00:45
下描き希哲8年(2014年)
10月03日 00:18
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

翻訳は,昔から私にとって最大級の関心事の一つだった。

いまの日本の翻訳は,ほとんど死んでいるといっても過言ではない。江戸時代後期から明治時代にかけて大々的に翻訳運動が行われた時期を,私は「大翻訳時代第一次大翻訳時代と呼んでいるが,それに比べればやはり驚くべき停滞だ。

その第一次大翻訳時代の翻訳にも,もちろん失敗がある。訳失(翻訳上失われた意味)の悪影響という点で「哲学」などは典型だが,まず教育商業の観点に乏しく,珍しい漢字の濫用,不規則な読ませ方が目立つ。これは当時の教養知識人の関心を反映しているのだろうが,その悪訳が気運を衰えさせた感も否めない。現代日本語におけるカタカナ語の多さは反動とも言えるだろう。

しかし,翻訳とは一つの言語が,他の言語から概念を学び,自らの体系に吸収していく過程だ。そしてそれが母語ならば,話者の自立的な思考,また言語文化ひいては共同体文化の発展に大きく関わる。例えば日本語を母語とする人間ならば,日本語でものごとを考えるのが最も効率的で,より高度な知識の蓄積が可能になる。自らの血,自らの文化でものごとを考えるということにもなる。日本人といえる者が「自分とは何か」と本気で考えるとき,日本の文化,日本の言語を無視することは出来ない。

イタリア語におけるダンテドイツ語におけるルターフランス語におけるデカルトデンマーク語におけるキルケゴール……ヨーロッパでは,自我の復興活動とラテン語に対する俗語の興隆には強い関係があった。英語化が世界の風潮だからといって,日本語で育った人間が英語を借りているだけでは,いつまで経っても日本人に哲学の独創など出来ないだろう。

私は,日本の「第二次大翻訳時代」を創りたいと思っている。それは,我々が真に我々の言葉でものごとを考え,世界に向けて語ることが出来る時代の草創だ。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.1号
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