現在の皇室を最終的には民間に移し,経済・政治活動を独自に営めるようにする。この際,「天皇」などの称号は財産の一つとして独占を許す。段階的に,地方自治水準に尊皇制を委譲していく。
皇室の歴史を考えれば,本来の姿ともいえる。すでに,天皇を制度による産物であると捉える「天皇制」という言葉に対する批判はあるので,天皇を近代国家制度の埒外と捉えれば,もっとも自然な形である。
皇位継承問題は,「国民に支持されるか」が重要な論点になっているので,根本的には皇室自由化を進めるしかない。
日本の政治は面白い。曖昧なものを曖昧なままで置いておけるというのは,日本人の面白いところだ。首都のような東京,軍隊のような自衛隊,元首のような天皇……こういうものが色々ある。慣習や雰囲気が重要で,議論に重きを置かないというのは将来を考えれば問題ではあるが,こんな状態でここまで一応まとまって来たのだから凄い。
特に皇室に関しての議論は,日本人の弱みだ。どうしてもびくびくしてしまう。しかし,皇室について考えず日本の政治を考えることは出来ないし,政治について考えず健全な言論文化を育てることなど出来ないわけで,こういう雰囲気も打破していかなければならないのだろう。
私はこのごろ,皇室自由化を中心とした「自由皇室論」というものをよく考えている。皇室を国家体制から完全に分離し,国民として自由な経済活動・政治活動を許すというものだ。近年の皇室に関する議論を眺めていると,おそらくこれが唯一,すべての課題を突破できる理論だと思える。ちなみに私は政治問題に関して常に「尾派」(尾翼)なので,左右綜合の観点から考えている。
いわゆる「天皇制」をめぐって,廃止論者・存続(尊皇)論者双方に実は共通する点がある。それは,「天皇を近代国家体制に組み込むこと」への批判だ。廃止論者は法的・理念的不整合の観点から,存続論者はそもそも皇室を近代制度の産物であるかのように扱うことに批判的な姿勢を持っている。つまりは,皇室を国家体制から分離することについては,合意点を見つけられる公算が高い。
伝統や文化の問題もないだろう。よく混同されるが,「天皇制廃止」というのは法的な特殊措置を廃すということであって,皇室を根絶やしにすることでも無ければ,皇室への個人的な崇拝を禁じることでも無い。皇室は,独特の歴史を持つ一族として,ずっと歴史を守っていけば良いし,それを支持したい人間は支持すれば良い。自由な発言をして良いし,何なら,政治家になっても良い。むしろこれを好む尊皇派は多いだろう。天皇の政治利用が禁じられるのは,憲法下で与えられている特権の裏返しだから,そもそも特権がなければ公正上の問題にならない。よくいう「政治的混乱が起きた時の奥の手」としても,十分機能するだろう。
皇族の生活保護についても,現代的な福祉の理念に照らして問題ない。皇族であったということで健康な生活を害される問題があれば,一国民として保護を受ける権利がある。社会的弱者に対する救済措置と同じだ。
実のところ,戦後から「天皇制」はもう死に体だ。教育,生活,婚姻……あらゆる面で例外続きで,ゆっくりと一般国民との同化が進んでいる。これに加え,人口減や少数民族(非大和民族)・移民の問題が顕在化する。アメリカの思惑通り,天皇の権威は低下することこそあれ上昇することはない。さらに皇室の先細りと皇位継承問題だ。
悠仁親王が子宝に恵まれるという可能性以外では,女系天皇を認めるにせよ皇籍復帰を認めるにせよ,求心力の大きな低下は避けられない。最終的に「国民が納得するか」という問題になってしまうが,これは本来,一族の問題としては不当に重すぎる。国民が納得するかどうか,などという問題ではないことを問題にしてしまっているから,難題に見えるだけだ。一名家の後継者問題なら何でもないことなわけだ。もちろん,皇室ですら国民の顔色をうかがって後継者問題を考えるという状況に直面するのは初めてのことだ。明治維新が,皇室という存在をおおげさにし過ぎたのだろう。
皇室の将来を案じているという人は,やや危機感が足りないのではないかと思う。「すでに」全国民に支持され,全国民を代表することを前提とした不自然な皇室は壊れているのだ。この状況から皇室を救い出す唯一の方法は,歪んだ近代化のくびきから解き放ち,自然に戻すことしかない。
崇拝を抜きにして天皇の政治的合理性を主張する声も大きいが,反対に言えば,日本人は天皇によりかかり過ぎた感も否めない。天皇に頼れなくなれば,政治家の選び方も変わるだろうし,国民としての責任をより強く自覚せざるをえなくなる。日本人にとって,心地よいことではないかもしれないが,必要なことではあるかもしれない。乳離れのようなもので,これも一概に悪いこととは言えない。
ちなみに,ネットでよく見かける「天皇は外国の君主やローマ法王よりも格上」というのは限りなく迷信に近い俗説なので鵜呑みにしないように注意してほしい。この手の幼稚な話がまかり通ってしまうことが,皇室に関する国民的議論の未成熟を象徴しているようだ。ついでにいえば,「皇室は日本人の誇り・アイデンティティー」などという主張もあまり感心しない。個人的にそう思うのは自由だが,日本人としての私の誇りもアイデンティティーも他にあるし,日本人の誇りについて考えた時に皇室がすぐ出てくるとしたら別の事を心配した方が良いと思う。
こういう問題になると,どうしても極端から極端に話をする人が多い。天皇を目の敵にする人がいると思ったら,神のように崇拝する人がいる。これはこれ,それはそれと語れる人はなぜかほとんどいない。私は日本神話も好きだし,技術翻訳などで誰よりも日本語の役割を重視していて,常々日本人の日本文化への無頓着ぶりに憤りを感じているが,「皇室は日本文化だ,日本文化を守れ」などと言っている人達はふだんどういう努力をしているのか不思議だ。この日本語の惨状を放置しておいて,口先だけで文化について語られるのも実践者として癪に障る。
私はいまの天皇皇后両陛下を人格的に尊敬しているし,実は皇室再興論すら考えていたのだが,先細り問題のどうしようもなさに屈した。いまでは,皇室の不安定な部分に依存した国家体制を改めるべきという観点から自由皇室論だけに確信を抱いている。