日本はどう立国したいのか

描主宇田川浩行#F85E
上描き希哲8年(2014年)
06月25日 16:23
下描き希哲8年(2014年)
06月25日 15:48
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

「立国」というのは,読んで字のごとく「国を立てること」であり,「~立国」といえば,国家成長戦略の基本方針をいう。おそらく,この言葉をもっとも好んで使っているのは日本人なのだろうが,その使い方がなんとも日本人らしくて面白い。

現政権が特に強調する「観光立国」をはじめ,省庁などが各自掲げているものだけでも「スポーツ立国」,「知的財産立国」(知財立国),「科学技術創造立国」(科学技術立国),「文化芸術立国」等々とあり,その他,昔から使われていたり民間で唱えられたりしているもので「技術立国」「金融立国」「電子立国」……などと枚挙に暇がない。これは,日本がかつて達成した「工業立国」の次の段階をまだ模索しているということなのだろう。それにしても,結局どう立国したいのかさっぱり分からない。私よりも政策に通じている人には分かっているのかもしれないが,「立国」というからには一般的な日本人に対する説得力をもたなければ標語としての失敗でしかない。

先日,私は『「選択と集中」なんて日本企業が出来るわけない』と描いた。つまり,「選択と集中」というのは本質的に冒険(リスクテイク)であって,日本の組織には不向きだということを言いたかった。考えてみれば,日本の政治にも同じことが言える。私は,この手の「立国」方針は一つに絞れると考えているが,それではその一つが失敗すればおしまいだ。そのリスクを補ってあまりある強靭な方針を組み立てることは考えず,そのリスクを分散させ無難に逃げ込んでいるのがいまの日本の政治なのだと思う。

もちろん,観光スポーツが大事なのは言うまでもない。省庁が関連分野に全力をあげて取り組むのは「~立国」などと掲げるまでもなく当然のことだ。他にも大事なことはたくさんある。だから,あれもこれもと目移りしてしまう。「観光立国」などと言ってみたはいいが,あまりにも哲学が足りなく非力なので結局まとまりもしない。たくさんの大事なものの中から,もっとも将来の国家の核心や枢軸になるといえる道を理性的に選び出し,果断に踏み出すという風には日本人は教育されていない。むしろ,日本の教育をまともに受けるとそういうことが出来なくなってしまうというべきか。ところが,日本の教育をまともに受けないと政治家官僚になるのは難しいのだ。

ここまで言ってしまうと,私見を述べるのも我田引水のようだし,述べないのも卑怯な感じがするので,ほんの少しだけ触れるが,日本は「知業立国」を一心に目指すべきというのが私の考えだ。知業とは,単に「知識を使う仕事(頭脳労働)」や「知識を整理する仕事(研究職)」のことではなく,「よりよい知識を生み出す有形無形の技術を開発する仕事」のことだ。世界はいま,工業化脱工業化を越えて,知業化の入口にある。その兆候がソフトウェア産業にあるのは言うまでもないが,もちろん「日本にシリコンバレーを作れ」なんてつまらない話ではない。情報通信分野に関する日本の政策も見当違いばかりだ。いまのソフトウェア産業はこれから幾段もの成長期を迎える赤子にすぎない。ソフトウェアの概念も業界構造も,見違えるほど変貌するだろう。

以前,『ハッカーと哲学者は似ている』と描いたこともあるが,ソフトウェアというのは,いわば機械的に表現された人間の思想だ。いわゆる「哲学」とソフトウェア開発の両分野で日本人が活躍できない理由は通底している。世界で知業化が進展するいまこそ,工業化・近代化を急ぐ日本が等閑にしてきた希哲学,つまり「知識を扱うための知識」を再考するときなのだと思う。多くの日本人はいま,日本が IT 分野,特にソフトウェア開発における後進国だと強く自覚している。しかし,歴史を振りかえればこの国には,そのような劣等感をバネにして,転機をつかみ,世界の列強入りを果たした例がいくつもある。私は,日本が世界初の知業立国を果し,世界の知業化を主導する国になることも不可能ではないと考えている。

とはいえもちろん,希哲館は2007年の創立時からこれまで,そしてこれからも国の方針に依存することはないので,日本がどういう道を歩もうと関係ないといえばない。私も希哲館も,勝手に知業化の先頭に立ち,草薙ぎつつ,やぶ蚊に刺されたり蛇に噛まれたりしながら歩んでいくのだろう。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.1号
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