コーヒーは漢字で「珈琲」と書くことがある。これは江戸時代の高名な蘭学者・宇田川榕菴が考案したものとされている。ここまではよく知られていると思う。私もここまでは知っていて,つい最近まで「適当な当て字」だと思っていた。それがとんでもない間違いだった。
漢音で,「珈」は「か」,「琲」は「はい」と読む。どちらも,宝飾品の意がある玉偏に,それぞれ音を表わす音符「加」,「非」を加えたものだ。これを組合せてオランダ語の「コフィ」(koffie)に近い音「かはい」を作っている。しかし,この程度のことなら特筆するほどでもない。当時は「可否」(かひ)などという当て字もあったようだ。
日本でコーヒーが本格的に普及するのは第二次世界大戦後(1950年代以後)のことで,この頃には多くの外来語がカタカナ表記で輸入されるのが当たり前になっている。江戸時代や明治時代に多く造られた漢字の訳語は,珍しい漢字を使用していたり,無茶な読ませ方をするものも多く,教育や商業上の観点から使いにくくなったのだろう。国名などは分かりやすい例だが,漢字の訳語があってもカタカナ表記の方が普及していくことも多い。実際,日本語には仮名という便利なものがあるのだから,でたらめな漢字を当てるよりずっと合理的だ。
しかし,この「珈琲」という訳語は,「コフィ」(コーヒー)の音を漢字に写しただけのものではない。一般的に使用されている漢字ではないので,厳密にどういう意味があるのかはよく分からないところもあるが,「珈」には「髪飾り」,「琲」には「つらぬくもの」といった意味があるそうだ。そして,コーヒーノキに連なって咲く白い花や,花が散った後になる赤い実がちょうど髪飾りのように美しい。私が驚いたのはこの発想力・着眼点だ。普通,コーヒーを訳そうと思ったらコーヒー豆とか飲料としての性質とかに注目しそうなものだ。例えば私なら「香」の字を使ってみることを考える。色で言えば茶とか黒を連想する。なかなかコーヒーから華やかさや鮮やかさは引き出せないだろう。
確かに,一般的ではない漢字を使用していることは実用上の観点から言えば欠点だが,その真意を知ってここまで感心させられる翻訳も珍しい。なぞかけのように,「その心は?」の意外性という点では超一級品だ。私は,宇田川榕菴という人物を評価していたつもりで,まだまだ軽くみていたようだ。大いに反省したい。