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}{希哲17年5月4日の副日記}{方針変更}{交代させる}(118)CSS アイコン実装から動的引連 SVG アイコン実装に切り替えることにした。軽く実験してみたらやたら捗ったため,改めて早期実装を目指すことにした。
昨日の開発記録を書いてみて,CSS アイコンの調整にかかる時間も馬鹿にならないなと考えながら,何気なく Google 検索の素出を覗いていたら,意外に上手くアイコンが SVG で表現出来ているなとは思ったが,やはり HTML で出力している引連 SVG アイコンは気持ち悪いと感じた。ここで,「行き詰まりを防ぐための選択肢」として残すことにしていた(4月27日の開発記録)動的引連 SVG で凌ぐことを思い付いた。
これまで見てきた例や解説が悪かったか,「SVG は煩雑」という先入観がありずっと苦手意識を持っていたが,引連 SVG 関しては,<path>
を中心に削ぎ落とせば十分簡潔に出来ることが分かった。例えば,従来のデライトの + アイコンは以下の記述で十分表現出来る。
<svg viewBox="0 0 32 32">
<path d="M 4 16 H 28 M 16 4 V 28" fill="none" stroke-width="5.5" stroke-linecap="round"/>
</svg>
引連 SVG なので,CSS や JavaScript での各部分の操作も容易だ。直接編集もやたら難しいと言われているので面倒臭そうだなと思っていたが,何のことはない,すぐに習得出来てしまった。CSS アイコンの調整に比べれば直感的ですらあるし,拡縮時の品質は比べ物にならない。これで外部通類への依存という懸念も払拭出来た。あとは,HTML の肥大化と保守性の低下という引連 SVG の二大欠点をスクリプトで補えばいい。動的引連 SVG なら部品の再利用も十分柔軟に出来る。
元々 CSS アイコンを中心とした枠組みの応付だったので,作ってきた枠組みをそのまま活かせるのも嬉しい所だった。動的引連 SVG を中心に,CSS アイコンの方を応付として交代させるだけで大きな方針変更も必要なかった。
若干肉体的な疲労感が残っていたため,ゆっくり大輪郭整備をして過ごした。
これまで,特定時刻の少し前・少し後を表現するのに「〜前」「〜過ぎ」を使っていたが,「〜前」は特に分に付くと誤解されやすいため「〜近く」を使うことにした。
最近,たまたま口に出すことがあって紛らわしさに気付いた。よくある問題だったらしい。
「なんでもメモ」での Google 検索結果でデライトが上位安定してきている。粘れば首位も狙えそうだ。一方,相変わらず「デライト」ではほぼ圏外という不思議な状況が続いている。
今日気付いて驚いたのは,「希哲」で『希哲辞典』(dict.kitetu.com
)が首位になっていたことだった。世界一「希哲」を重視してきたにもかかわらず,希哲館事業発足からろくに上位に入らなかったので半ば諦めていた。ここで適当に作った『希哲辞典』が浮上するとは思わなかった。
検索語「デライト」にしても「希哲」にしても,明らかに関連性・重要性の低いサイトに埋もれていることに多少 Google 検索への不信感がなくもないが,雑多な検索語での流入があるサイトの性質上,あくまでも全体的な検索流入を見るようにしてきた。それにしてもちょっと不可解なことが多い。
その全体的な検索流入も,SEO に大きな影響のある変更が一服した10月中旬頃からの停滞が続いているが,SEO の効果が反映されるのは最短でも数ヶ月からと言われているので,恐らくは過渡的な現象だろう。デライトは確実に進歩しているので,落ち着いて今後2ヶ月は様子を見る。
AdSense の収益も9月から妙に不安定だったが,12月に入ってからは正常化している。
3ヶ月ほどの間,クリック率やクリック単価が異常に低いという状況が続いていた。どの道,現時点での広告収益は高が知れているので当座の問題ではなかったが,大規模流入が始まった時に広告が機能しないとなると大問題になる。とりあえずは安心した。
人工知能,仮想通貨・暗号通貨,仮想現実・仮想世界……等々,様々な分野が世界的な注目を集める中,これらを凌ぐ潜在力があるにもかかわらず,まともに語っているのは私だけなのではないか,と思えてしまう分野がある。それが「知能増幅」(IA: intelligence amplification)だ。
知能増幅というのは,文字通り,工学的に人間の知能を増幅させることを指す。古くからある研究分野だが,人工知能などに比べてその話題性は著しく乏しい(参考)。この言葉に「人体改造」に近い響きを感じる人は多いだろう。実際,脳にチップを埋め込む,遺伝子を書き換えるといった人体改造的な研究がこれまでの主流で,まず倫理的課題が大きかった。倫理的課題が大きければ技術的課題を解消するための実験などもしにくく,実用段階にある技術が存在しなかった。デライトが登場するまでは,古典的な SF の域を出ず,語れることも大して無かったわけだ。
先日の「デライトの使い方の考え方」で少し触れたように,デライトは,その知能増幅を誰でも簡単に触れるメモサービスとして実現した「知能増幅メモサービス」であり,「世界初の実用的な知能増幅技術」だ。どのように実現しているかはあの文章でざっと書いたので,今回は,この知能増幅メモサービスの意義について書いてみようと思う。
私は,ビッグ・テックや GAFAM などと呼ばれる世界最大の企業群(Google, Apple, Facebook, Amazon, Microsoft)が合併して「Microappglezonbook」となり,自分がその経営を思うままに出来たらどうするか,という思考実験をすることがある。答えはいつも変わらない。iPhone も Google 検索も Windows も,世界最大の SNS も世界最大の通販サイトも,何もかも売り払って,知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。
最近何かと話題のイーロン・マスク氏と入れ替わったとしても,やることは同じだ。テスラも SpaceX も Twitter も,何もかも売り払って知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。ちなみに,氏の事業の一つには,まさに脳にチップを埋め込む系の知能増幅技術を扱う「ニューラリンク」があるものの,やはり,他の事業ほど目立った成果もなく,あまり知られていない。
つまるところ,あらゆる分野の中で,「知能増幅」が群を抜いて大きな可能性を持っていると私は考えている。これを多くの人が理解すれば,21世紀は間違いなく「知能増幅の世紀」になるだろう。世界初の実用的な知能増幅技術であるデライトは,その嚆矢だ。
長い前置きに似合わず,知能増幅メモサービスがなぜいま最も重要なのかという本題は,拍子抜けするほど単純明快な話だ。知識が最も価値を持つ時代において,最も価値のある知識は「知識を生み出す知識」であり,最も価値のある技術は「知識を生み出す技術」だからだ。まさにそれを研究開発するのが知能増幅という分野だ。そして,知能増幅メモサービスは,最も実現性の高い,実際にデライトが実現している知能増幅技術なのだ。
例えば,人工知能がいかに発達しようと,それを開発し管理し利用していくのはあくまでも人間だ。人間が愚かなまま機械だけが賢くなっても,人間社会にとってのボトルネックは必ず人間の愚かさになる。知能増幅技術は,人間のあらゆる知的活動を最も根源的な部分から持ち上げる技術であると言える。
……と,この単純明快な話を私がしたのは,昨日今日でもなければ一度や二度でもない。昔から,何度端的に語っても,意図するところが伝わった試しがない。どうもピンと来ていないというのか,大体の反応が「なるほど,で?」という感じだ。理屈はなんとなく理解出来ても,それが意味することの大きさを想像出来ていないのだ。その大きさを先に書いた理由だ。
思えば,この“ピンと来ていない感じ”というのは,「個人知識管理」(PKM: personal knowledge management)として認知されつつある分野に感じるものと似たところがある。その名の通り,個人が自らの知識を効果的に管理することに関してはすでに色々な方法論や技術が集められている。その代表的な手段として「メモ」があり,メモアプリやメモサービスなどと呼ばれるものも盛んに研究・開発されている。
このメモサービスを知能増幅に結び付けたのが「知能増幅メモサービス」というデライトの位置付けだが,これが,私が思っていたより変わった発想だったらしい,とデライトの宣伝を始めてから気付いた。個人知識管理の技術を発展させていけば,それは当然知能増幅に繋がる。この単純な発想が,意外にも共有しにくい。「デライトではこんな新しいことが出来る」と言っても,「なるほど,でも○○で間に合ってるから」という反応を受けることが多かった。そこには,想像していたよりずっと大きな温度差があった。
このあたりの分野をよくよく観察してみると,開発者にせよ愛好家にせよ,そこまで大きなビジョンを持っている人はほとんどいないことが分かる。要は,「生活術」とか「仕事術」とか「ライフハック」の範疇でしかとらえていない。個人知識管理が知能増幅に繋がり,それが世界を変える,なんて大それたことを考えている人間は,全くいないわけではないだろうが異端者だ。
私の立場からは「節穴同然の眼力」としか言えない分野の体たらくだ。「趣味の問題」で済む話でもない。そう思ったとしたら,ここまでの話が理解出来ていないか,想像力があまりにも足りない。ただただ,一人でも多くの人がこの分野の本当の可能性に気付いてくれることを願って,私は叫び続けている。