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激化する SNS 戦国時代の中で,サービス文化について考えさせられることが多い。今日はちょっと面白い発見もあった。
以前にも SNS におけるオタク文化について考えたことがあるが(3月1日の日記),依然としてその影響力は強いと感じる。例えば,Misskey の猫耳機能などは私の価値観からすると完全にありえないものだが,そういう部分があることでオタク層からの信頼を得ている面はあるだろう。誰かにとっての「居心地の良さ」を提供することは SNS の核心であって,Misskey はまだ小規模ながら興味深い事例ではある。
最近でいえば,Threads の急速な台頭によって,キラキラした Instagram 的な場に対する「ドブ川」としての Twitter に,想像以上に多くの Twitter 用者が想像以上に強い愛着を持っていることが分かってきた。「陽キャ」に対する「陰キャ」のコミュニティであるという意識もやはり根強いようだ。それは単なる自虐というより,昔から言う「明るい人気者ほどつまらない」とか「面白い奴には根暗が多い」とか,その種の含みがある。
確かに,自分が好きだったお笑い芸人なんかを振り返ってみても,根暗でひねくれていた人ばかりだ。そういう人が,業界で一定の地位を築いて妙に社交的な「明るい人」になったりして,つまらないことで笑うようになり,かつての面白さを失っていく,という哀しい現象もよく見てきた。
明るい人というのは箸が転んでもおかしいという人なので,日常にそこまでひねりの効いた刺激は求めていないのだ。Twitter 用者が Instagram 的な SNS に感じるつまらなさとは,こういうことなのだと思う。
幼稚なデマに煽られやすいなど,全体としては知的脆弱さが目立つ Twitter ではあるが,役立つ投稿や面白い投稿が比較的多いことは認めざるをえない。学問も文芸も,多少ひねくれていたり,オタク気質だったりするくらいが丁度良いからだろう。その点で,Twitter 文化にはマイクロブログ型 SNS における確かな優位性がある。
そういう観点からデライト文化について考えてみたら,対 Twitter 戦略なんて無理筋じゃないかと一瞬思いかけた。というのも,デライト文化の種子たる私自身が,人間の限りない可能性と限りない成功に対して限りなく楽天的な性格であって,その実現のためにデライトを開発してきたからだ。サービス名を〈delight〉(歓喜)にかけているくらいなので,そもそもデライトはこの上なく明るい気分から生まれている。そういう意味では,インスタグラマーも真っ青なキラキラ志向なのだ。
単純な話,Twitter が陰キャ寄り,オタク寄りの SNS だとして,デライトがそうでないとすると,どうやって用者を移行させるのかという問題がある。ここまでのデライト運営の実感としても,Twitter をはじめとするマイクロブログ型 SNS からの訪問者は,明らかにデライト文化に引いている。
そんなことに思い至った時,この頃,全く別の文脈で自分の性格についてよく考えていたことを思い出した。
ここ数年くらいで確信を深めていることなのだが,どうも私は病的に明るい性格らしい。希哲館事業の経験を積む度に,自分の明るさに助けられていると感じることが増える。
世界初の実用的な知能増幅技術であるデライトによって知識産業革命を起こし,かつてのイギリスのように,国家模体として日本を極大国(ハイパーパワー)に成長させ,その日本によって知識産業を中心とした新しい国際秩序の形成を主導する,ということを大真面目に実践しているのが希哲館事業だが,まず,並大抵の精神でこれを支え続けるのは誰がどう考えても不可能だ。
常人がなんとか続けたとして,40歳近くにもなれば頭髪は白髪で真っ白なら良い方で,全部抜け落ちていてもおかしくない。顔は若く見えて60歳相当には老け込んでいるだろう。
ところが,現実の私は,実年齢よりもずっと若く見られることが多かった。ここ数年はデライト開発でだいぶ生活も乱れたのでどうか分からないが,少なくとも,年齢相応の苦労を重ねてきた男性の顔には見えないな,と自分でも思うような顔をしている。20代の頃はあまりにも幼く見えたので,むしろ老けたくて仕方なかったくらいだ。希哲館事業構想の一環として三船敏郎のように強い日本人の象徴となる顔が必要だと10代の頃から考えていた私にとって,幼さに対する混複は非常に大きかった。
表情もまたなんとも楽しげで,実際これが毎日楽しいのだ。クスリでもやっていないとおかしいくらいだ。実際にはクスリどころか酒もたばこもやらないのだが,たまに,自分が知らないうちに麻薬でも打たれているのではないかと考えてしまうことがある。毎日デライト上に記録している通り,生活はかなり健康的な部類だろうと思う。
この未曾有の重圧にしてこの気楽ぶり。環境に恵まれているというのも大きいが,それだけでは説明し切れないものがある。
思い出すのは,「子供の頃は姉と一緒で明るい子だった」とよく言われていたことだ。姉が非常に明るい性格のまま育ったのに対して,私はある時期から考え込むことが多くなり,人付き合いも口数も減っていった。その先に希哲館事業があるわけだが,いま思うと,希哲館事業のとてつもなく巨大な影を丸呑み出来るだけの根の明るさがあったのだろう。
世界の思想史を通観して,思想家として捉えた場合の自分の特異性について考えると,やはりこの明るさに行き着く。『考える人』しかり,思索にふけっている人なんて大体みんな憂鬱そうな顔をしている。私自身の体験を振り返っても,いわゆる明るさと思慮深さを両立させるのは難しい。思考というのは脳を占有し疲労させるものなのだから,科学的な説明もそう難しくないはずだ。私のように「笑いながら考える人」はそういない。
これは SNS における明るさと面白さの両立という課題にも通ずるのではないかと思ったわけだ。Instagram や Threads などの「つまらない明るさ」はテキスト向きではない。かといって,「面白い暗さ」の Twitter も SNS としては長らく伸び悩みの状態にある。デライトの個性を「面白い明るさ」という第三の道と捉えると,むしろ大きな希望に思えてくる。
一昔前でいう月9が Instagram 的なもの,昼ドラが Twitter 的なものだとすると,デライトが目指すべきは日曜劇場,つまり,『JIN』や『半沢直樹』のような世界なのかもしれない,などとも思った。キラキラでもなくドロドロでもなく,ギラギラという感じだ。
特に『JIN』は,希哲館事業発足から間もない頃に放送されていて,奇妙な運命を背負ってしまった主人公と自分を重ねながら観ていた想い出深いドラマだ。気付けば南方仁と同じ年齢になっているのもなんだか感慨深い。
(書きたいことはまとまっていたが書き終えるのに20日までかかってしまった)
dlt.kitetu.com
}{デライト2周年}{難}{一段落}{一編}{研究}{話}{今}{形}(600)デライトは,今年の2月13日に2周年を迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書くと書籍数冊分くらいにはなる話だ。デライトの完全な成功を目前にした良い頃合いなので,駆け足で振り返ってみたい。
技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学と情報学への関心から「輪郭法」を閃いたことに始まる。2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法の応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念を中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付けの概念だ。
このアイデアが,哲学上の理論に留まらず,極めて実践的で,極めて強大な技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年の最重要課題を解決し,知能増幅(IA)技術の実用化につなげることが出来る(参考)。すでに IT 産業の勢いが明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた。
さらに,アメリカ同時多発テロ事件が起こって間もない頃だ。後の英米政治危機,世界に広がる社会分断,SNS の暴走,そして目下のウクライナ侵攻を予感させる事件だった。
あらゆる争いの背景には,世界の広さに対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた。我々は,世界の一部分をそれぞれの立場から見ているに過ぎない。立場が違えば見える世界も違う。その衝突を回避出来るとすれば,個々人の世界に対する視野を広げるしかない。輪郭法の応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方が現在の KNS という概念につながっている(参考)。
この閃きは止まるところを知らなかった。17歳の少年の人生観も世界観も,何もかもを瞬く間に作り替えてしまった。この閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和と豊かさをもたらす鍵を手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった。能う限り最高の状態で世に出さなくてはならないと思った。
もちろん最初は,とんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい。少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧に苦しむようになった。
理論や技術として完成させられるかどうかは時間の問題だと考えていた。本当の問題はその先にあった。地動説にせよ進化論にせよ,世界の見方を大きく変える考えには無理解や反発が付き物だ。常識を越えた考えであればあるほど,その壁は大きくなる。どれだけ努力しても,死ぬ前に認められることはないかもしれない。当時の私は,エヴァリスト・ガロアのように生涯を閉じるのではないかと想像していた。偉大な発見をしながら夭折し,死後何十年も経ってようやく評価された数学者だが,なんとなく親近感を覚えていた。
そして,技術は良い方にも悪い方にも利用されるものだ。これが「世界初の実用的な知能増幅技術」になるとすれば,最初に使うであろう私は「世界初のトランスヒューマン(超人間)」になる。全人類の模範となって,人々を未踏の領域へと導く……自分がそんな重責を担える人間だとは,まるで思えなかった。能力はともかく,昔から自分の人間性を全く信用していなかった。
無論,そんな自信は20年ほど経ったいまでも無い。それでもここまで来たのは,曲がりなりにも出来そうな人間が自分以外にいなかったからだ。何もしないよりは,挑戦して失敗例を残す方が良い。それに,一度ここまでのことを考えた人間が,何食わぬ顔で平凡に生きていけるわけもなかった。
色々な葛藤を乗り越えて,2007年,22歳で「希哲館事業」を始めた。輪郭法を応用した知能増幅技術の開発・管理・普及活動を中核として,知による産業革命と知による民主主義の確立を目指す事業だ。
「希哲館」というのはこの事業の中心となる機関として構想したもので,その名は「哲学」の元となった「希哲学」という古い翻訳語にちなんだものだ。
「知を愛すること」を意味するフィロソフィーを「希哲学」と昔の人が意訳し,それがいつの間にか「哲学」として定着したわけだが,日本語で哲学というと,思想家や学者など一部の人のもの,という語感がある。実際,誰もが賢哲にはなれないだろう。しかし,誰でも「希哲」(知を希求する人)にはなれる。これからの時代に最も重要で,万人が共有出来る価値観を表現する言葉として,これ以上のものは見つからなかった。
情報技術を中心に知識産業が絶大な力を持ち,その反動からいわゆる反知性主義が世界中で社会分断を招いている今,この観点への確信は当時以上に深くなっている。
見ての通り,希哲館事業の一環であるデライトは当初から意図的に dlt.kitetu.com
というドメイン名で運営している。それも背景を踏まえればごく自然なことだが,利用者には分かりにくいことだった。今後,こうして説明する機会も増やしていきたい。
事業開始後間もなく,運が良いことに裁量の大きいシステム開発の仕事を得られたりして,それを足掛かりに技術的な蓄積を進めていった。
そして,2012年,26歳で輪郭法応用技術「デルン」の実用化に成功した。輪郭法は英語で〈delinography〉としていたので,それを縮めて〈deln〉とした。ウィキともブログとも異なる全く新しい CMS であり,おかしな語感もこれらにならった(参考:「デルン」の由来)。
しかし,世に出すことをすぐには考えられなかった。なんとか使えるようになっただけで,製品としては難が多過ぎたし,市場戦略や知財戦略も全く固まっていなかった。構想の大きさが大きさだ。万が一にも失敗は許されない。可能な限り技術としての完成度を高め,万全を期して世に出す必要があると考えていた。
それまでは,デルンそのものを製品化するのではなく,背後でデルンを利用したサービスで資金稼ぎするつもりだった。結局そう上手くは行かないまま,デルンと周辺技術の開発,応用法の研究,希哲館事業構想の体系化といったことに時間を費す生活が続く。
デルンを世に出す準備を始めたのは,実用化からさらに5年ほど経った2017年のことだった。私は32歳になっていた。
諸々の調査・研究・開発が一段落したところに,ブレグジットやトランプ当選などを巡り社会分断が世界中で顕在化した頃だった。特に着目したのは,その背景に SNS があったことだ。デルンによって SNS を知的交流の基盤に拡張する──長年温めていた KNS(knowledge networking service)構想を活かすならここしかないと思った。
それから1年ほどかけ,デルンの製品化に向けての検討を重ねた。2018年,最終的に,誰でも簡単に使えるメモサービスとして公開することに決めた。これが,ライト版デルン(Deln Lite),「デライト」(Delite)の始まりだった。
あとはひたすらサービス公開に向けた作業に没頭し,2020年2月13日24時15分,ついにデライトという形でデルンが,ひいては輪郭法が世に出ることになった。
ただ,後に「名目リリース」と呼んだように,積極的に人に見せられる出来ではなかった。公開はしていたものの宣伝はほとんどせず,改良を続けてなんとか最低限の品質になったと判断出来たのは同年8月13日のことだった。これを「実質リリース」と呼んでいる。私は35歳だ。
不完全な形での公開に踏み切ったのは,ソフトウェア開発において「完璧主義」が仇となりやすいからだ。不完全でも早く世に出して修正を繰り返した方が良い。そしてこれは正しかった。ソフトウェア開発では常識に近いことで,私も頭では分かっていたが,実は半信半疑だった。
実際,デライトに多大な貢献をしてくれている常連利用者の2名は,名目リリースから実質リリースの間に使い始めている。内心,誰も使わないだろうな,と思いながら一応公開していたわけだが,予測は良い意味で裏切られた。
デライトの公開からは,本当に,本当に,色々なことがあった。あまりに色々なことがあり過ぎて,時間の感覚もおかしくなっている。わずか2年前が大昔のようだ。とてもではないが,ここには書き切れないし,今はこれ以上書く気にもなれない。そもそも読み切れないだろう。
ただ,確かなことは,奇跡のように素晴らしい時間だった,ということだ。理解ある利用者達とともに,夢と希望に満たされて,デライト開発は快調に進んできた。“デライター”達への感謝はまた別の機会にしっかり綴るつもりだが,本当に皆のおかげだ。
近頃,私は「デライトの完全な成功」という表現をよく使っている。「デライトの成功」と目標を表現することに違和感を覚えるようになったからだ。成功していないと言うには,あまりに上手く行き過ぎているのだ。
今のデライトは,利用者が十分に集まっておらず,それゆえに十分な利益も上がっていない。ただ,それを除けば,ソフトウェア開発プロジェクトとしてほとんど理想的な状態にあると言っていい。ことインターネット サービスというのは,どれだけ人気があっても売上があっても,それぞれに様々な問題を抱えているものだ。デライトには,集客面以外で問題という問題がない。
本格的に集客出来るようになれば,鬼に金棒,完全無欠,つまり「完全な成功」というわけだ。その最後の課題である集客面でも,最近は改善の兆しがある。デライトは,“世界史上最大の成功”に王手をかけている。
生きている内に日の目を見ることはないかもしれない,などと考えていた出発点を思えば,やはり奇跡としか言いようがない。
何より,私はまだ37歳だ。それも,この技術に20年の時間を費した経験を持つ37歳だ。事故や病気でもない限り,あと50年は持ち堪えられるだろう。駄目で元々。命ある限り,私が諦めることはない。
デライトは4月29日から四度目の宣伝攻勢に入っている。この「一日一文」もその一環だ。
本来,一日一文は,その名の通り毎日一編の文章を書こうという日課なのだが,たまに何気なく重い題材を選んでしまい,筆が進まなくなることがある。今回も,5月半ばに何気なく書き始め,書き上げるのに2ヶ月以上かかってしまった。
20年の歴史をちょっとした文章にまとめるのには,流石に精神力が必要だった。無数の想い出を行間に押し込んで,無理矢理まとめた。
デライト開発が正念場を迎えているので,今後も頻度には波があるだろう。気長に待っていてほしい。
昨日の一日一文では高度経済成長期以後の日本の盛衰について分析してみたが,今日は,そんな日本がどうやって中国を抜き返し,アメリカをも凌ぐ世界史上最大の極大国となりうるのかについて書いてみよう。
アメリカは脱工業化に成功し繁栄を極め,日本は工業にしがみつき凋落した……物語はここで終わったわけではない。ジパング計画という“新しい物語”が始まるのはここからだ。
私は,これまでの世界で起きた脱工業化という現象を「あての無い家出」と表現したことがある。とりあえず工業中心から脱してはみたものの,落ち着ける先が見えていないからだ。脱工業化は世界にとって時期尚早だったかもしれない,という雰囲気は実際に広がりつつある。
それを象徴するような二つの出来事が同じ2016年に起きた。イギリスにおけるブレグジット決定,アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプ当選だ。私はこれらに象徴される英米政治の混迷を「英米政治危機」と呼んできた。
そしてその背景にあったのが,情技(IT)産業をはじめとする知識産業の隆盛に伴う工業の衰退,格差拡大,国民分断だった。世界経済と脱工業化の先頭を走っていたアメリカ,そのアメリカを生み出したかつての超大国であるイギリスが同時に似たような危機に陥ったことは偶然ではないだろう。
産業革命から近現代を牽引してきた両国の産業構造はもちろん,政治や文化にも通底する何かの限界が,ここに来て露呈したのだ。
トランプ政権下のアメリカでは,まさに脱工業化の煽りを受けたラスト・ベルトに支持され“再工業化”の動きすら見られた。それは,あてのない家出から“出戻り”してきた少年少女のような,心細いアメリカの姿だった。
一般に,国民国家や間接民主主義・資本主義といった現代社会の標準的な体制が形作られた,18世紀頃から20世紀頃までの時代を「近代」という。
そして我々はいま,第二次世界大戦などの大きな画期を経て,様々な揺らぎの中で「現代」にいる。現代がどういう時代だったのかは次の時代になってみなければ分からないが,近代については振り返ってある程度概観することが出来る。
この近代化の推進力となったのはイギリスの産業革命だ。ここから世界の工業化も始まった。工業化も含めて様々な要素が互いに影響を与え,支え合いながら近代社会は形成されてきた。脱工業化でいうところの工業というのは,独立して取ったり付けたり出来るものではない。
特に重要なのは,工業というものが実質的な社会保障として機能していた,という点だ。つまり,額に汗して働けば,誰でもそれなりに豊かな生活も社会参加の実感も手に入れられる,という期待が,近代国家に大衆を繋ぎ止めていたのだ。
いま工業に取って代わろうとしている知識産業には,高度な教育を受けた選り人や高度な技能を持った一握りの人々に富が集中する性質がある。GAFAM に代表的な日本企業が何千と束になっても勝てないように,その他大勢がどう頑張っても埋められない差が出来てしまう。
こうなれば,“置き去りにされた大衆”の少なくない部分が,当然のように民主主義における権利を行使して“反乱”を起こすことになる。まさにそういう現象がトランプ政権だった。
世界史の講義のような話になってしまったが,それだけ脱工業化が持つ歴史的文脈は長く複雑だ。脱工業化は,突き詰めれば「脱近代化」であり,新しい産業を中心に社会全体の仕組みを刷新する新近代の創造,すなわち「新近代化」であるということになる。これに成功した国は一つもない。ならば,先走った国々がつまずいている内に,日本でやってしまおう,というのが私が語っていることだ。
ジパング計画とは,工業時代,引いては近現代からの周到な“家出計画“なのだ。
脱近代化という考え方そのものは,昔,「ポストモダニズム」などといって思想界で流行したことがあった。これも今思えば“あてのない家出”で,近代をあの手この手で相対化してみせるばかりで,その先を語れる者がいなかった。
結局,先行した思想の限界でもあったのだろうと思う。世界が混迷に陥っていても,達観ぶった“思想家”達は現状追認以上のことが出来なかった。私が現代思想を批判してきた理由だ。
こんなことを言うと,少なからず,何も出来なくて何が悪い,世界のあり方についての言説なんて虚構だ,とイマドキの思想家や現代思想かぶれ達には言われることだろう。
私はこう言い返す。出来なくて悪いこともなければ,出来て悪いこともないだろう。やらなくて悪いこともなければ,やって悪いこともないだろう。では虚構であることの何が悪いのか。新近代の創造,そこまでの虚構なら立派な演待というものではないか。そんな面白いことが目の前にあってやってみない方が「現代風の考え方」という固定観念にとらわれているのだ。あなたがたは,知の不可能性に屈していたに過ぎない,と。
いま世界に必要なのは,新しい知の可能性を示し,この壮大な“演劇”を演じ切ることが出来る人間だ。
新近代化はいいとして,なぜ日本なのか,というのは先日の一日一文でも主題にしたが,その時は個人的な心情を書くに留めた。私は,日本生まれ日本育ちの日本人だ。まず日本のことを考えるのに理由はいらない。
しかし,世界を見渡し,日本だけではなく世界のためを考えた時,新近代化を起こすのが日本でなければならない理由がある。
まず,日本は現在,「自由民主主義」を標榜する先進国の中で,最も政治的安定性を保っている国だ。それも,落ちたとはいえまだ世界第3位の経済大国としてだ。これは驚くべきことだろう。
自由民主主義というのは,アメリカを筆頭にしたいわゆる「先進国」の体制だ。ざっくり言ってしまえば,かつてのソビエト連邦や今の中国と異なり,経済的にも政治的にも自由を最大化しようとする体制のことだ。冷戦時代は「西側諸国」などとも呼ばれていた。
いま,この自由民主主義は危機に瀕している。“自由な経済活動”が知識産業による脱工業化に赴く一方で,“自由な政治活動”は大衆の反知性主義を煽る政治家を生み出す。この不調和こそ現代政治最大の課題と言っても過言ではない。なぜなら,この問題に対する「独裁」以上の解決手段がまだ知られていないからだ。
言うまでもなく,この問題を反民主的な強権体制で押さえ込み,ハイテク国家として日本を飛び越え,アメリカを猛追しているのが中国だ。中国の一応の成功は,冷戦を乗り越えた“西側”の自信を大きく揺さぶっている。
かつてアメリカと世界を二分していたソビエト連邦が崩壊したのは,結局のところ資本主義と民主主義が相対的に成功していたからだ。「自由でも国は上手く行く」ということが実証され続けていれば,独裁国家はその正当性を緩やかに失っていく。
反対に,「自由は国を分断する」と思われてしまえば,独裁国家は現体制を国民のためだと正当化することが出来る。特に英米政治危機以後,混迷する欧米の政治は独裁国家の権威を高めてしまっている。そればかりか,アメリカのような国にも独裁志向の大統領を生み出してしまった。独裁者は外からも内からもやってくるのだ。
さて,ここで日本に再び目を移してみれば,「旧態依然とした衰退途上国」と評されがちな今の日本が,実は非常な好位置に付けていることが分かる。アメリカが持たない安定と中国が持たない自由を辛うじて保っている国,それが日本だ。
つまり,日本には,分断を伴わない脱工業化,引いては脱近代化,新近代化を実現出来る可能性が残されている。これこそ,「自由民主主義における最後の砦」として私が日本を重視し,ジパング計画を推し進める理由だ。
とんでもないことを言っているように聞こえるかもしれない。しかし,驚異的な速度で近代化を成し遂げた明治維新,自由民主主義を志向しながら成長と平等を高い水準で両立させ,「最も成功した社会主義国」などと呼ばれてきた戦後……歴史を振り返れば,日本は,それに近い“とんでもないこと”を実現してきた国でもあるのだ。
日本人がいま仰ぎ見ているアメリカは,元はといえばイギリスの小さな植民地に過ぎなかった。そのイギリスも,大航海時代まではヨーロッパの辺境の島国に過ぎなかった。どこかの国に似ているとは思わないだろうか。実際,イギリスは産業革命まで江戸時代の日本と比べてもそう大きな国ではなかった。英語は,そんな彼らが世界中に広めた,彼らの母語なのだ。
そもそもヨーロッパ自体,近代化と世界進出に成功したから世界史の中心にいるような気がするだけで,それ以前の世界経済の重心は中国やインドをはじめとするアジアにあった。
「ルネサンスの三大発明」とされる火薬・羅針盤・活版印刷術の起源が全て古代中国にあり,仏教など古代インドの思想が19世紀以後の西洋思想に大きな影響を与えたように,文化的にも決して遅れていたわけではない。中国もインドも「新興国」などと不名誉な呼ばれ方をしてきたが,本来は「再興国」とでも呼ぶべきなのだろう。
歴史を学んで分かることは,未来は常に創造的であり,決まったことなどないということだ。誰もが想像するように日本がこのまま衰退を続け,英語を学んで出稼ぎに行くのが当たり前の国になるか,それとも,米中を凌ぐ極大国となり,日本語を世界中に広め,名実ともに世界の中心になるか,全ては日本人の創造力次第だ。
一つ,日本人にとってこれまでと大きな違いがあるとすれば,今度は“先生”がいないということだ。誰かの後を追うのではなく,日本人自ら,かつて誰も踏み込んだことのない領域で,先頭を切って走らなければならない。現代政治最大の課題の前に,この日本最大の課題が立ちはだかっている。
いまの日本は決して悪い状況にあるわけではない。むしろ,「米中凌駕」を狙うには最高の環境にいる。そう見えるか,ただの衰退途上国に見えるかは紙一重だ。一見,今の日本にそこまでの成長力は無さそうだ。知識産業において成長力を生み出す「独創性」が無かったからだ。
この話は,「自分自身についての研究」という題で書いた独自性についての話から繋がっている。あの話を書き始めてすぐ,私の脳裏ではここまでのことが広がっていた。これに収拾を付けるために書いてきたのが一連の文章だ。
独創性というのは,奇を衒って人の注目を集めることではない。その程度のことが得意な日本人はたくさんいる。世界が抱えている課題を,誰も知らなかったやり方,誰も出来なかったやり方で解決することだ。これが日本人には難しかった。
日本人は「一人」がとても苦手だ。常に,似た誰かと一緒に動きたがる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というやつで,みんなと一緒なら大胆にもなれる。人の注目を集めるために変わったことをするのが得意な人も多い。要は「みんなでわいわい」しているのが大好きなのだ。
ところが,独創というのは,文字通りほとんど孤独な作業だ。独創的であるということは,人のたくさんいる街明かりから離れて,一人で真っ暗闇に飛び込み,何か価値あるものを持って帰ってくるようなことだ。死ぬまで誰も認めてくれないかもしれない,誰も理解してくれないかもしれない,道なき道へ歩み出す。これが自分達にとっていかに困難なことかは,日本人自身がよく知っている。
これまでは,外国人が最初にやったことをみんなで真似していればよかった。これからは,日本人自らが未開の領域に踏み出さなければならない。しかし,誰から行くのか。誰もが周りを見て,後から付いていっても安全そうな流れが出来るのを待っている。だから誰も飛び出せない。これが日本の状況だった。「日本最大の課題」と呼んだが,大和民族における数千年来の民族性にまで遡る問題かもしれない。
もちろん,個々人の性格や能力だけの問題ではないだろう。「世界金融危機は日本人の何を変えたのか」でも似たようなことを書いたが,疲弊した今の日本社会には,個人が自由に好きなことを追求出来るゆとりは無いに等しい。かといって,一か八か,打って出るしかないほど追い詰められているわけでもない。ちょうど,“無難が正義”になってしまうような宙ぶらりんな状況にある。
では一体,日本人はどうすればいいのか,と思うだろうか。別に,どうもしなくていいのだ。わざとらしく過去形を強調したが,外国人の後を付いていくばかりの日本人像は,すでに過去のものとなった。希哲館事業が過去のものにしたのだ。
ジパング計画を含む希哲館事業は,私がほとんど自身の体験のみに基いた思想と発明で始めた「世界初の新近代化事業」だ。どのような哲学で,どのような世界を目指し,どう実践していくのか,その全てを,独自に体系化している。規模・密度といい実践の水準といい,このような事業は世界に類を見ない。
そして,私も希哲館事業も日本生まれ日本育ちだ。不思議なことに,私は外国人の先祖を知らない,いわゆる純日本人だ。日本から出たこともほとんどない。
これはつまりどういうことか。日本には,かつてアメリカを脅かすほどの団結力と勤勉さを持った一億の日本人と,アメリカ人にもいないような自由で大胆な日本人が共存しているということだ。
手前味噌もいいところな結論だが,日本には希哲館事業が足りなかった。そして今,日本には希哲館事業がある。鍵はすでに全て揃っているわけだ。あとはそれに気付くか気付かないかの問題だ。
日本人は云々,という巷の日本人論は,やたら欧米人を礼賛して日本人を貶してみたり,そうかと思えば,空想的に日本人を美化してみたり,いずれにせよ現実離れしたものが多い。論者の世界観も分断し,歪んでいるということなのだろう。
「日本はなぜ繁栄し,なぜ衰退したのか」で書いた通り,私は,個人の性格であれ国民性・民族性であれ,全てにおいて良い性格も全てにおいて悪い性格もないと思っている。
日本は,スティーブ・ジョブズのような史上最大級の革新者を生み出せなかったが,ドナルド・トランプのような史上最大級の嫌われ者を生み出すこともなかった。両者は性格においてそう遠くない。良くも悪くも平然と我が道を行ける性格なのだ。
歴史上数々の大冒険を成功させてきた欧米がコロナ禍で夥しい犠牲者を出す一方,日本が行政の迷走にもかかわらず感染拡大を抑えられていたのは,綺麗好きで協調的で慎重な日本人の性格によるところが大きいと言われる。“臆病さ”も場面が変われば“慎重さ”になる良い例だ。
特に日本人のように自尊心が低く自己評価が極端に振れがちな集団にとって重要なことは,自分達の長所・短所,持っているもの・持っていないものを偏りなく正しく知ることだ。外国の一面を真似て変わろうとしなくていいし,いまさら中途半端な外国かぶれになってどうにかなる状況でもない。自分達についてよく知れば,考えることもやることも自ずと良い方に変わってくる。
自分が鬼であることにも,近くに金棒が落ちていることにも気付いていない──私の目には,いまの日本人がそんな鬼のように映っている。自分の力を知り,自分の武器に気付きさえすれば,まさに「鬼に金棒」だというのに。
さあ,世界と日本がいまどういう状況にあり,日本人はどこをどう目指すべきなのか,外堀を埋めるように語ってきたが,そろそろ本丸の攻め方について具体的に考えてみよう。
結論から言えば,日本が飛躍を目指すのであれば,国全体で,基幹産業へのいわゆる「選択と集中」を徹底せざるをえない。その戦略において最大の問題は,新しい日本の基幹産業として何を選択するかだ。そして,選択すべきは知能増幅(IA)以外にない。
まず,集団としての日本人の特性と人口規模を考えた時,アメリカ型の起業大国を目指すべきというのは経営戦略として下策と言わざるをえない。
アメリカは,日本よりずっと多様な人々が日本の倍を越える人口でいる国だ。多様性はともかく,中国の人口にいたっては日本の十倍を越えている。これに加え彼我の国民性の差を考えれば,鉄砲玉の数で勝負するような起業に向かわせるのは日本人の無駄遣いだ。それで出来るのはせいぜいアメリカもどき,「米中凌駕」など到底叶わない。
日本人はばらけた時よりも固まった時に強い。この日本人の特性をどう活かすかと考えれば,選択と集中に向かわざるをえない。それも,米中を圧倒する極大国を目指すのだから中途半端ではいけない。日本の全てを一点に集中するような,「一選万集」とでも呼ぶべき究極の集中戦略が必要だ。
80年代以後に漫画を読んで育った世代には,「元気玉方式」というのが一番分かりやすいかもしれない。
選択と集中は本質的に「賭け」だ。近年,この戦略を批判的に捉える論調も目立つようになったが,多くの場合はここを誤解しているのではないかと思う。日本人はその賭けが苦手で,保険をかけることに多くの経営資源を費やしてきた。だから冒険をしなくてはいけないと言っている時に,怪我したからやっぱりやめよう,というのでは何も変わらない。
選択と集中における失敗とは,「集中の失敗」ではなく「選択の失敗」だ。失敗したから集中をやめようというのが日本人なら,別のものを選択してまた挑戦してみようというのがアメリカ人なのだ。
当然,「元気玉方式」では全てをかけるのだから,万が一にも外せない。逆に言えば,万が一にも外さないことなら全てをかけてもいいはずだ。いっそのこと,そこまで突き詰めてしまった方が日本人は乗りやすいかもしれない。
ここまで来れば,問題は一点に絞り込まれる。日本の全てをかけてもいい基幹産業として何を選択するべきかだ。
内閣府のムーンショット型研究開発制度では,人工知能をはじめとする,いまや世界中で猫も杓子も語っているような路線で「破壊的イノベーション」が語られている。残念ながら,すでに米中が桁違いの投資で先行する分野の後追い以上のものにはなっていない。もっとも,民主主義における政府の役割は,みんなの意見を集約することであって,誰も理解出来ないようなことを勝手にやり始めたら独裁だ。それはそれで仕方ない。
これは日本人にとって極めて難しい問題だったが,私は,何の迷いもなく,「知能増幅」(IA: intelligence amplification)だと即答出来る。知識産業にとって最も根源的な役割を持ち,まだ十分に知られていない未開の領域で,日本人である私が「世界初の実用的な知能増幅技術」(デライト)を完全に保有しているからだ。
このような話になると,日本が誇るゲームやアニメ,漫画があるじゃないか,という人も多い。もちろん,これらも素晴らしい日本の文化で,重要な産業ではあるが,基幹産業というには心許無い。
馬鹿にしているわけではない。例えば,日本製のゲーム作品なんて,ほとんど人間業の限界といっていいくらい洗練されていると思う。長年,世界中で人気もある。では,任天堂をはじめ日本のゲーム会社がどれだけの規模に成長しているのかというと,その偉業の割に目を疑うほど小さい。これ以上頑張りようがある気がしないのだ。
これには少し個人的に心当たりもある。私は80年代生まれで,人並みにゲームやアニメ,漫画に囲まれて育ってきた。ただ,大人になってからはこれらの分野にほとんど金を使っていない。時間が無いからだ。それで困るかというと別に困ってもいない。つまり,後回しにされがちな分野だ。
GAFAM(Google,Amazon,Facebook,Apple,Microsoft)というのは,いわば“新しい生活必需品“を作っている企業だ。ゲームが出来なくても私は困らないが,Google 検索や Amazon が使えなくなれば困る。支配力という点ではやはり比較にならない。
「日本にはスティーブ・ジョブズのような起業家がいない」という話になると,例えば,「日本には任天堂の故・岩田聡氏がいるじゃないか」というような反論の仕方をする人がいる。感情としてはよく分かる。岩田氏に限らず,日本には各界にそれぞれ素晴らしい経営者や技術者がいる。一概に優劣を付けることは出来ない。
そんなことは大前提とした上で,なぜこういう話でジョブズやゲイツが引き合いに出されるのかといえば,世界経済を牽引するアメリカを代表する企業を創った人々だからだ。その文脈として,日本経済の長期停滞がある。その意味で,やはり彼らに比肩する日本人はまだいない,というのが現実だ。
もう一つ,日本人がやりがちな議論として,「GAFAM もジョブズもゲイツもアメリカでしか生まれていないのだから,日本だけを問題にするのはおかしい」というものがある。一見もっともらしいが,これもよく考えるといい加減な理屈で,かつてアメリカとしのぎを削った日本で情技産業が育たなかったという話と,例えばアフリカの発展途上国で情技産業が育たなかったという話は同列に語れない。
日本人が言葉遊びで気を紛らわしている内にも,中国は GAFAM に肉薄する企業を作っている。私はやはり,日本人にはこの問題に真正面から挑戦する強さを持ってほしいと思う。
こんなことを散々考え尽くし,私が辿り着いたのが知能増幅という分野だ。人間の知能を技術的に増幅しようというもので,昔から学術的には認知されているが,人工知能とは世間的な認知度・話題性・市場規模において雲泥の差がある。
その大きな理由として,実用化の見込みが全くないということがあった。例えば,脳にチップを埋め込むとか,遺伝子を弄るとか,そういう SF じみた空想から何十年ものあいだ抜け出せていなかった。これでは,技術的にどうというより,やりたがる人を見つけるのが難しいだろう。
私は,この知能増幅と,いま Notion や Roam Research といったサービスで注目されつつあるメモサービスを結び付け,「知能増幅メモサービス」という形で触れる知能増幅技術を開発した。それがこのデライトだ。
知能増幅技術は,人工知能も含めて,人間の知性が生み出すあらゆる産物に寄与するという意味で,知識産業における最も根源的な機関といえる。これを利用して日本で「知識産業革命」を興し,新近代化の推進力にしようというのがジパング計画だ。
そしてこれは,人間が知的生命体である限り,半永久的に意義が失なわれることのない技術だ。日本人の粘り強さを活かすにはもってこいだろう。「日本の全てをかけてもいい基幹産業」として,私が想像しうる最大限の現実解だ。
私はたまに,「自分が GAFAM の完全な経営権を与えられたらどうするか」という思考実験をしてみることがある。結論はいつも変わらない。「全ての事業を売り払ってでも知能増幅技術の開発に注ぎ込む」だ。Windows,Mac,iPhone,Google 検索,Android,YouTube,Amazon,Facebook……これまでのあらゆる情技製品よりも知能増幅技術に可能性を感じるからだ。
またとんでもないことを言っているようだが,これが米中凌駕を実現するような革新的技術を具体的に想像するということなのだと思う。
日本人に近代化とは何かを知らしめたアメリカの黒船来航からおよそ170年,いまこそ,世界に類をみない「一億総知能増幅」の新近代国家で「黒船返し」をする時なのだ。
この一日一文という日課を再開してから改めて強く感じることは,私にとって最大の関心事は私自身だということだ。
確かに,釈迦,孔子,ソクラテス,キリスト……その他高名な歴史上の思想家達の思想や生涯よりも,自分自身が体験した「閃き」の方が私には気になる。あの閃きの起源と真の可能性を探究することが生涯の仕事になるのだろうと思う。
10代の頃から世界中の思想について情報収集してきたが,ほとんど自分自身の体験だけを元にここまで思想を展開し,独自の技術まで開発している人間なんて他には思いつかない。「独創的」という日本語は賞賛に近い響きを持っているので自分で言うのはすこし憚られるが,「世界で最も独自的な思想家」くらいのことは言っても許されるだろう。
もっとも,“独自性”というのもここまで来ると実際病気に近いものがあり,一概に褒められたものではない。この独自性のせいで自殺を考えるほど悩んだこともあるし,この独自性から生み出したデライトはその独自性ゆえに苦労しているわけだ。私が希哲館事業を「精神の癌」と呼んできた所以だ。
それでも,私がこの極端なまでの独自性に希望を見出しているのは,しばしば「独自性の欠乏」を指摘される日本で,閉塞感の突破口を一つでも多く作りたい,という思いがあるからだ。
日本は紛れもなく“個性的な”国だ。外国人は,お世辞もあるだろうが「日本人はユニークだ」などと言ってくれる。ただ,日本人自身は,その個性の大半が,個人によるものではなく,みんなで同じことをやっていたら世界的には珍奇なことになっていた,という類のものであることを知っている。ガラパゴスというやつだ。
思想・哲学の分野で昔からありがちな日本人批判に,外国の思想や思想家についての研究者は多いが,独自の思想を持つ日本人がほとんどいない,というものがある。日本人がやっているのは「哲学」ではなく「哲学学」に過ぎないのではないか,というわけだ。
これはいまだに重い問いだと思う。「日本の個性的な思想家」というと,武士道やら禅やら外国人の東洋趣味に訴えるような人であったり,サブカルのような「隙間」で活躍する人ばかりが思い浮かぶ。世界史のど真ん中で,例えば,ルソーやカント,マルクスなどと肩を並べられる日本人思想家が一人でもいるか,という話なのだ。
私は,10代の頃から哲学と情報技術の両方に関心を持っていたので,日本の情技(IT)業界にも同じような「日本病」があることに,割と早く気付いた。
情技業界でも,やはり外国から来た技術や流行について日本人は敏感で,非常に勉強熱心だ。知識量では決してアメリカ人に負けていないだろう。ではなぜアメリカにここまで水をあけられているのか。外国人が作ったものを勉強することは出来ても,世界中で勉強されるようなものをなかなか作り出せないのだ。
こんなことを言うと,特定分野で一応世界的に名の知られた日本人を引き合いに出して反論したくなるかもしれない。しかし,これも先の思想家についての問題と同じで,ではジョブズやゲイツのような経営者,ドナルド・クヌースやケン・トンプソンのような技術者と並び称される日本人が一人でもいるだろうか,と考えてしまうと,残念な結論しか出ない。
あの凄いアメリカ企業で出世した,あの凄いアメリカ人と知り合いだ,この業界での「凄い日本人」の話は大抵こんなものだ。気休めを言ったところで,彼我の歴然たる差は認めるしかない。
ただの日本人批判をするつもりはない。
私は,個人の性格にも,いわゆる国民性にも,一概に優劣をつけることは出来ないと思っている。実際,日本人は,この日本人らしさで,一番ではないにしても十分な成功を収めてきた。しかし,向き不向きはある。今の日本人は,明らかに知識産業には向いていない。これからの知識産業時代に適応出来ない。ではどうすればいいのか。
やはり,日本人自身が,日本から世界に向けて,「誰も投じたことのない一石」を投じなくてはならない。成功するにせよ失敗するにせよ,希哲館事業もその一石には違いない。だから,少なくとも希哲館事業が日本にある限り,日本にはまだ可能性がある,と私は思えるのだ。
アメリカ人は,ぼろぼろの吊り橋を平気で渡っていく。日本人は,それをずっと後ろの方で様子見して,石橋が出来てからそれを叩いて渡る。これでは勝てないのが情技産業,知識産業だ。
世界のど真ん中で,誰もやらなかったこと,誰もやれないことを誰よりも先にやり,誰も見たことがないものを誰よりも先に見る。いま日本が必要としている“独自性”というのは,突き詰めればそういうことなのだと思う。
私の人生観と希哲館事業を貫く「凡人思想」については時々断片的に言及してきたが,そろそろしっかり書いておきたい。
私の凡人思想は,ニーチェの超人思想を“克服”するように形成された。
19世紀後半に活動し現代思想に大きな影響を与えた哲学者フリードリヒ・ニーチェが言う「超人」とは,「孤独や虚無をも楽しめる創造力を持った人間」のことだ。
私が言う「凡人」とは,「自らの創造力によって“新しい普通の人間”であり続ける人間」のことだ。これを私は「まだ見ぬ凡人」などとも呼んできた。この凡人は,超人を越えたところにいる。“新しい普通の人間”になるということは,万人のための道を創るということでもある。
17歳で輪郭法の閃きを得た私は,この発明が“知の不可能性”を前提としてきた現代思想を終わらせるものであることにも気付いた。知能増幅によって“知の可能性”が異次元に広がり,知識産業の隆盛と結び付いて世界のあり方を変えうる。この可能性が「新しい物語」の原点だった。
それは同時に,気の遠くなるような,超人を越えた凡人への旅を予感させる出来事でもあった。
凡人思想について哲学的なことをあれこれ語り出すと一日一文にはそぐわない内容になりそうなので,具体的に考えてみよう。ちょうど良い例がここにある。他でもない,デライトだ。
デライトは,輪郭法に基いた世界初の知能増幅メモサービスだ。私は,これを KNS(knowledge networking service)として SNS と対峙している。SNS はいわば人間社会の縮図だ。各国首脳や宗教指導者,各界の権威・著名人を含めた数十億人ともいう人々がひしめき合う世界だ。それでも,たった一人で始めた KNS には,SNS に勝る価値があると私は思っている。
実際の所,私は希哲館事業を始める時に,「全ての神と自分以外の全人類を敵に回してもこの事業に尽くせるか」と自問自答した。その決意が出来たから今こうしている。これは超人以外の何者でもない,ニーチェもびっくりの精神性だ。
しかし,この程度のことなら私にとって難しいことではなかった。「三つ子の魂百まで」というのは本当で,私のこういう性格は幼い頃からほとんど変わっていない。普通ならどこかで破滅していると思うが,環境のおかげで生きてこれてしまった「超人ネイティブ」なのだ。
本当に難しいのはここからだ。このデライトを多くの人に使ってもらうためには,単なる“超人”でいてはいけない。自分自身が,万人に共鳴してもらえる模体とならなければ,新しい技術に基く新しい人間と新しい社会を創ることなど出来ない。これ以上に人間としての器量を試されることなどなかった。
「新しい凡人」になること。これこそが,17歳の私を絶望させた重圧であり,超人が霞んで見えるほどの価値だった。
たまに,デライトは思想臭くてとっつきにくいなどと言われることがある。
ただ,人類知のあり方を変えようという技術が新しい思想を伴なわないわけもなく,全て必然であり自然なことなのだろうと思う。
もともと希哲館事業は「テクノロジーとフィロソフィーの結合」を掲げている。デライトの成功は,技術史のみならず,思想史にとっても大きな画期となるだろう。
一昨日の一日一文で私の変わった“金銭欲”ついて少し触れたが,これが実は希哲館事業の核心に近い要素かもしれない。
希哲館事業にはもともと,“資本主義と共産主義の綜合”という目標が含まれている。その新しい経済思想を「相通主義」と呼んでいた。この名前も最後に見直したのがだいぶ前なので,もう少し良い名前がある気もするが,しばらく仮称としておこう。
相通主義というのは,資本主義の流儀に則って共産主義の理想を(本来の共産主義とは別の形で)実現してしまおうという考え方だ。その鍵になるのが「相通化技術」と呼ぶ技術で,情報技術と交通技術に大別される。希哲館事業では,その情報技術を「虎哲」,交通技術を「竜力」と呼び,開発計画を「竜虎計画」と呼んでいた。
その虎哲の核心となるのが輪郭法で,デルン,デライトとなっていく。こう階層的に整理してみると,希哲館事業構想がいかに巨大か分かる。「人類史上最大の事業構想」というのも伊達ではない。事業の全体像を簡単に説明しておこうと思うだけで,本題について忘れそうになる。
そんな希哲館事業で私がやりたいことは,簡単に言ってしまえば,“世界史上最大の企業”を作って雇用を万人に開放することだ。これを「基礎雇用保障」(BW)と呼んでいる。「基礎所得保障」(BI)の代替策だ。
BI は昔から考えられてきたことだが,小規模な実験以外で実現の見通しは立っていない。いくつかの理由で,一定規模以上の国家で実現することは困難と私は見ている。
BI は社会の構成員に大きな考え方の転換を迫る。それも,持続的でなければ意味がない。やってみたが,やっぱり戻そう,という動きも当然考えておかなければならない。その割に,哲学的な弱さがある。利点とされていることも大半は希望的観測でしかない。
それに対し,BW は思想転換も政治的合意も必要としないという大きな利点を持つ。その代わり,万人に雇用を提供出来る企業を創り出さなければならない。
私はよく GAFAM を意識したようなことを語っているが,実際,この構想は GAFAM を大きく越えるような企業でなければ実現出来ない。しかし,それは不可能なことではない。
知識産業はこれまで考えられなかったような格差を生み出す。企業間も例外ではない。ついこの間まで,GAFAM の株価が東証一部上場企業全体を上回り,米国政府と対立することなど考えられなかった。その GAFAM 全体を一社で上回る企業が出てこないとも言えない。
究極の格差を制することで世界に平等をもたらす。この BW という考え方は,世界史上最大の富を生み出そうという意欲と,人並の収入があれば満足に暮らしていけるという価値観を両立させた人間にしか生み出せないものだと思う。
希哲館が提唱・推進する日本の産業政策に「ジパング計画」がある。その最大の特徴は,人工知能や仮想通貨といった“流行”ではなく,「知能増幅」(IA: intelligence amplification)を中心に据えている点にある。
その目標は,知能増幅技術による知識産業革命を起こし,いわゆる GAFAM を大きく凌ぐ日本企業を創出,日本を世界史上最大の極大国に導くことだ。この日本を模体として,自由と知が共存する新しい国際秩序を創っていく。
この構想を可能にしたのは,言うまでもなく「世界初の実用的な知能増幅技術」であるデライト(デルン)だった。デライトは,いわゆるメモサービスから知能増幅サービス(知能増幅メモサービス)への発展が可能であることを理論化・実証した世界初の例でもある。
知能増幅という概念は昔からあるものだが,人工知能に比べ話題性に乏しかった理由は,実用化の目処が全く立っていないことにあった。例えば,脳にチップを埋め込むとか,遺伝子を弄るとか,現実には多くの人に受け入れられそうにない空想的な構想がほとんどだった。それを容易に触れられるものにした,という点に知能増幅技術としてのデライトの革新性がある。
昔,テッド・ネルソンという人が始めた「ザナドゥ計画」というものがある。世界で初めて「ハイパーテキスト」という概念を提示し,いま我々が使っているワールド ワイド ウェブの原型となった構想だ。
勘報機における情報の概念に革新をもたらそうとしながら頓挫した例として,ビル・ゲイツが提唱していた WinFS とともに私がよく挙げていたのがこのザナドゥ計画だった。デライトは,その志を継ぐものでもあった。
「ザナドゥ」というのは,本来はモンゴル帝国の上都のことだ。マルコ・ポーロが『東方見聞録』で広めてから,ヨーロッパでは「東洋の理想郷」に近い意味を持つようになった。
同じ『東方見聞録』に由来するのが,日本人にはお馴染みの「黄金の国ジパング」だ。当時の日本と思われる国が,金をよく産出するきらびやかな島国として伝えられた。これが「ジャパン」など外国語で日本を指す言葉の由来だとされている。
残念ながら,今の日本は知識産業で出遅れ,アメリカとの差は開く一方,中国にも追い抜かれ,“衰退途上”と言われる状況にある。
そんな日本を,古の伝説をなぞるように,「知の黄金郷」にしてみせようではないか。「ジパング計画」とは,日本の歴史と勘報の歴史の交差点に付けられた名前なのだ。
先日の一日一文「なぜデライトに希哲館事業が必要だったのか」でも書いたように,デライトは希哲館事業の一環として開発されている。
今日は,この「希哲館」という命名に関する思い出話でも書いてみようと思う。
14年ほど前にこの事業を始める時,まず考えたのは,事業の理想をどのような言葉で表現すべきか,ということだった。後からコロコロ変えたくなかったので,半永久的に使うつもりで徹底的に考え抜いた。
最初に思い浮かんだ言葉の一つとして強く記憶に残っているのは「自由」だ。希哲館は「自由館」だったかもしれない。
ただ,これでは何かが足りないと感じた。当時の私は,この「自由」が現代においては意味を失いつつある,と感じていた。かつて,「自由」を掲げることに意味があったのは,「自由の敵」が割と明確だったからだ。しかし,いま重要なのは,何によって,どのように自由を守るのか,ということだ。「自由」だけではその回答にならないのだ。
もう一歩踏み込んだ表現を見つける必要があった。それが「希哲」だ。西周という人物がむかし考えたフィロソフィーの翻訳語に「希哲学」というものがある。これが変化して今でいう「哲学」になった。失われた「希」を取り戻し,フィロソフィーを万人が共有出来る理念にしたい,と考えた。誰もが賢哲にはなれないが,意志さえあれば誰でも希哲の人にはなれるからだ。
つまり,知を希求することこそ,これからの自由の要になる。それが「希哲館」の名にこめられた思いだ。
それから10年以上経ち,反知性主義が先進国の課題として認識されるようになった。知識産業が隆盛する一方,選り人と大衆の溝は広がるばかりだ。「希哲」は,万人が知の恩恵を受けられる社会を築くための鍵だ。
……「希哲館」の命名に関してはもっと色々な話が出来るのだが,一日一文で書くには長過ぎた。
例えば,なぜ「館」を付けたのか,という話もある。希哲堂・希哲院・希哲荘・希哲庵・希哲亭……などという案があった。
偶然にも kitetu.com が希哲館のドメインハックになった話,「希哲」がそのまま希哲紀元の年号になった話も書きたかったが,また今度にしよう。
先日の一日一文「デライトの対 Notion 戦略」で書いた通り,現在,デライトも含めた全ての個人知識管理(PKM)サービスの市場戦略において意識せざるをえないのは Notion だろう。
一方で,Notion の立場も盤石ではない,という意味のことも書いた。私が「個人知識管理サービス」と呼んでいる分野では,新興サービスが雨後の筍のように登場している。私も全ては把握しきれていない。それだけ問題意識が尽きない分野であるということなのだろう。
今や個人知識管理サービス市場は「戦国時代」だ。盛者必衰,Evernote であれ Notion であれ,安心していられる者はいない。
そして私は,この個人知識管理サービスこそ,検索演心,SNS に続くインターネットの一大産業になると確信している。知識産業の中で果す役割を考えれば“当然”の帰結だ。
つまり,この「戦国時代」を制した企業がいわゆる GAFAM のように成長していくことになる。
問題は,ただでさえ知識産業で遅れを取っている日本で,十分戦えそうなサービスがただの一つも存在していない,ということだ。私はこれに強い危機感を覚えている。この種のサービスが知識産業化を加速させていくものなら,ここで遅れを取った日本は,半永久的に取り返せない差を付けられることになる。
「日本語におけるルビの重要性について」でも書いたように,デライトは日本語を重視し,日本語を最大限活用出来るように工夫を重ねている。一方,いま流行りの Notion は日本語対応ですら「予定」の状態だ。これが何を意味するのかは,読者の想像力を信頼していちいち言うまい。
幸い,今は「戦国時代」だ。どんなに小さな勢力にでも番狂わせの機会はある。そして,これこそが,知識産業で日本が大逆転しうる最後の機会だ。