自輪郭のための右吹き描き代替案を模索したことで吹き描きの輪郭線の重要性に気付き,「中景線」「後景線」,あわせて「中後景線」という名前を与え,色彩調整などを行なった。
前後景一覧について考えていくうちに,検索窓が増えることもあって自輪郭検索(自我検索)切り替えに使う用合いも従前案(未実装)のチェックボックス方式に代わるものが欲しくなってきた。何かあるような気がして考え出したら止まらなくなり,結局,下図のようなアンパサンド方式を考案,採用を決めた(6歩)。
また,前景部・後景部に表示する検索窓には小さい自我アイコンを表示することを検討し始めた(現状は大きい方)。
デライトの ActivityPub 対応について前日再考したこともあり,デライトの PWA 対応についても再考。こちらも,現時点で急いでも諸場でアイコンに出来るくらいの利点しかないため,KNEST と Aejs の整備を進めて十分に活用出来るという時に対応することにした。
寝る前に,デライトの扉から全輪郭検索への飛び方が分かりにくいという問題について考え始めた。現状,検索窓の代置語に「なんでも」とは書いてあるが,これが全輪郭検索を表していることに気付く人は少ないだろう。初めてデライトに訪れた人がもう少し雰囲気を掴みやすいようにしたいとは以前から思っていたが,よくある「のぞいてみよう」のような直接的表現も無粋な気がしていた。
ここで,以前から月庭のように総描出輪数を表示する案があったことを思い出し,これと機能を兼ねられそうなことに気付いた。例えば,月庭風に「〜輪の知識を育てています」という文があり,「〜輪の知識」が輪結になっていれば分かりやすい。
ただ,月庭風ではデライトにはちょっと堅いので,別の表現を考えたかった。すでに語体下に表示されている獲句「デライトは、なんでも記憶できる魔法のメモ帳です。」との相性も考える必要がある。「〜輪の記憶が咲いています」「〜輪の記憶が育てられています」といった表現も,ガーデニングを想起出来て良い気がしたが,メモ帳なのか庭なのか比喩がごちゃごちゃしてしまう。ここは単純に,「〜輪の記憶が描き出されています」としておくことにした。
ここ数日,大きく報じられている『WELQ』問題を背景として,「キュレーション サイト」などと呼ばれるものを含む広義の「まとめサイト」のあり方が問われている。
私はもともと脱まとめ論者だ。キュレーションに対しては「ガーデニング」(参考:「キュレーション」と「ガーデニング」の違い),まとめサイトに対しては「もとめサイト」などと,「まとめ」から脱却するための様々な表現・概念を考えてきた。この『月庭』もその思想に基いて開発されている。
3年ほど前に「キュレーション サービスへの印象」という文章も書いている。その中で私は,いわゆるキュレーション サイトの問題として,粗悪な情報でアクセス稼ぎをさせるような設計にしかなっていないことを指摘していた。これはまさに今『WELQ』問題で指摘されていることと同じだ。
私が「ガーデニング」や「もとめ」という概念で言わんとしていることは,「よりよく見せかけるための知」ではなく「よりよく見るための知」を重視しようということだ。これは現代におけるソフィズムとの闘いでもあり,希哲館がその名の通り追究してきた課題でもある。いまさら確信が深まるというほどこの信念が揺らいだことは無いのだが,いよいよ機が熟してきたという感がある。
世にいう「キュレーション」(展示)と,私のいう「ガーデニング」(作庭)の違いは,継続性・有機性と,発信の対象にある。
ガーデニングには終わりがなく,境界もない。そして,顕示ではなく,自らの精神の充実を第一の目的としている。これがちょうど現実の庭作りに似ている。見せるために作るのではなく,自分が心から満足できる空間を追求する。そこに客人が訪れ,感動してくれれれば,心の深層で触れあえたことになる(インタープット)。
ガーデニング メディアは,情報の表現と伝達における新しい可能性に満ちている。