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{東日本大震災から3年半 K#F85E/5AE8}

今年3月11日,東日本大震災から3年経つということで,世間では先の震災についての振り返りが行なわれていた。私も色々思うところがあったが,何か書こうと思いながら半年が過ぎてしまった。

震災は,私にとっても重大な事件だった。特に,震災が起きてから希哲館事業の予定を大幅に繰り上げることになった。このせいで色々と無茶なこともした。あまりにも詰め込んで,たった3年半の月日というのが信じがたいほどだ。実感的にはその倍にも感じられる。

震災以後の日本の状況についていえば残念なことも多い。復興を旗印に何かとやかましいことを言うわりに中身のない活動家が増えた。市民が微力ながら復興に貢献したいというのは何も悪いことではないが,自分の政治的野心のためだとか,普段話題に困っている評論家やらジャーナリストやらが安易なネタ作りのために震災を利用する姿がどうも目立つ。日本で思想家などと名乗っている連中がいかに何も考えていないか,ということも露呈されてしまった。私自身,あまり震災について触れてこなかったのは,こういう意味でやや気が引けるところがあったからだ。

こういうと被災者には残酷なようだが,何も世界の問題は震災だけではない。人が死に,飢える問題はいつでもどこにでもある。震災から奮起してそういった問題に広く鋭く眼を向けるということが重要なのであって,震災によって震災だけを見ているとそれが分からなくなる。

具体的なことを言えば,現在の日本が一刻も早く必要としているのは工業化の次,知業化の達成である。それが日本経済,引いては世界経済の飛躍につながる。実はそれこそ被災地復興の近道でもある,と私は考えている。そしてこの3年半で理論的・技術的な整備が大きく進んだ。いまや「失われた二十年」は「隠された二十年」,あるいは「隠された十七年」などと呼べるようになった。時代は既に希代に突入し,現代旧現代から希現代に変わった。

世界情勢や日本の将来となると,閉塞感になすすべもなく悲観論に陥っているくせに,復興の希望などとは欺瞞も良いところだ。復興に希望を見出すということは,日本の将来,世界の将来に希望を見出すということに他ならず,それを語れずして復興を語ることなど出来ないのだ。

希哲館は今後,2015年中にはある計画段階を終えて,また情報の公開度を大幅に引き上げる。私はこれからの1年に正味3年分の仕事を詰め込むつもりだ。