独自性オリジナリティを極めると人は死ぬ

描主宇田川浩行#F85E
上描き希哲10年(2016年)
12月20日 01:22
下描き希哲10年(2016年)
12月20日 00:40
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

最近,日本では某社某サイトで起きた問題をきっかけに,インターネットにおける著作権問題についての議論がこれまで以上の盛り上がりを見せている。

それはそれで結構なことなのだが,個人的に気になるのは,そうした議論の中で漠然と使われる「独自性オリジナリティ」という言葉だ。独自性が無ければ駄目だ,独自性のある献典コンテンツ)を作れ……こういった声に,とても強い違和感を覚えていた。恐らくそれは,私が常に日本人の独自性ないし独創性の乏しさをある面で批判してきたからなのだと思う。特に知識産業における日本人の弱さを考える時に,やることなすこと外国の後追いが多く,自ら冒険出来ない,などとよく指摘してきた。だからこういう時に使われる「独自性」という言葉が非常に表面的なものに感じられてしまうのだろう。日本人における独自性という問題の底の深さを知らないが故の軽さをそこに見てしまうのだ。

大和民族の一員でありながら,物心ついた頃からどう頑張っても他人と同じ考え方が出来ず,いわゆる人生哲学の類ではない世界観の基礎としての哲学体系を一から構築してしまい,従来のいかなる政治経済思想とも一線を画した経済理論・政治的立場を確立し,自ら経営する企業の自ら開発する技術で自ら日々珍説を発信している私の経験から言って,独自性を極めると人は死ぬ。振り返れば私も死んでいておかしくないのだが,たまたま運と環境に恵まれて生き残っているのだと思う。もう一歩踏み出してしまうと,やはり人間ではなくなるような感覚がある。

そもそも独自性とは何か,という問題にはあえて深く触れないが,巷に言う「独自性」などというものは有る人にはもともと有るし,無い人にはどう頑張っても身に付かないものだ。日本人には「奇を衒いたがる」人はそれなりにいても独自性を持っている人はほとんどいない。ただそれは一概に悪いこととは言えない。私が批判するのは,独自性や独創性を信仰しながら実質的に真似事しかしていないことであって,独自性や独創性が無いことそのものではない。独自性を保って生きるということは要するに孤立して生きるということでもあり,多く人の想像を絶する茨の道だ。日本人は江戸時代あたりから高度な協調性と団結力を長所としてきた集団なので,そういう個人が少ないのは当然とも言える。

私が「独自性」について語るすべての日本人に言いたいことは,個人における独自性の無さを過度に悲観しなくて良いということと,独自性の遠さを自覚して欲しいということだ。例が極端と思われるかもしれないが,日本人の本当の強さは,類稀な協調性と独自性の二刀流を手に入れた時にこそ発揮されると私は思っている。だから,どちらをも害する中途半端な独自性信仰・独自性幻想は捨てて,むしろ極端に振り切った考え方をした方が良いのかもしれない。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.1号
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