葛西臨海公園まで行くつもりで出発したが,途中で街中をぶらぶらしてみたくなり,西葛西駅まで走った後,新左近川親水公園を少し歩いてから帰った。気持ちの良い天気だった。
11時頃から葛西臨海公園,若洲海浜公園,夢の島公園,辰巳の森海浜公園などを巡って17時過ぎ帰った。道に迷うことが多かったせいもあり,昨日の最長記録を大幅に更新し,約48.1km走った。
休日なので少し遠い辰巳の森海浜公園を目指して出発したが,葛西臨海公園を通り,荒川河口橋を越えたあたりで勘違いして左に曲がってしまい,若洲海浜公園に着いた。ここはここで海が綺麗に見える良い公園だった。植物を見るなら葛西臨海公園で十分だったので結果的には良かった。
海を見ながら戻り,15時頃,少し懐かしい辰巳の森海浜公園で休憩した。デライト正式離立前に何度か訪れ計画を練った思い出があり(希哲13年10月7日の散歩記録),なんだか感慨深かった。近便で適当に買ったもので食事を取り再開,葛西臨海公園でぶらぶらしてから帰った。
他の大きな公園を走ってみたことで,葛西臨海公園のサイクリングコースとしての優秀さを再確認した。小さ過ぎず大き過ぎない敷地に見所が凝縮されていて,自転車の移動速度に対する景色の多彩さが絶妙だ。ただ漠然と広いだけの公園で感じる退屈さが無い。希哲荘からの距離も運動には最適で,恐らく最高の場所だろう。徒歩で行くことが多かったので,いままでこの真価に気付かなかった。
定休日のため無理をしない程度に作業をしようと思っていたが,一日,思いのほかぼーっと過ごせた。最近,休むに休めないことが問題だったので,少し安心した。久しぶりにぶらぶらサイクリングも出来た。
脳爆発に整理をつける糸口が掴めたことでだいぶ気が楽になったようだ。
第四次黄金状態では脳爆発に抗わず,むしろ促進してしまった方が良い,と考えてからしばらくは上手く行っていたが,こう脳爆発が続くと,噴煙で視界が悪くなるように頭の整理が出来なくなってくる。
これが心理的負担だったようで,最近,生活習慣は乱れがちで,心身の調子も概ね良好ではあるものの黄金状態というほど冴えてもいない,という微妙な状態が続いていた。
大輪郭整備を経て脳爆発が完全に利用出来るようになれば,今度こそ本当に第四次黄金状態を物にしたと言えるだろう。
ウクライナ侵攻についても,初めてまともに考えることが出来た。侵攻が始まった2月24日は,ちょうど新しい脳爆発の連鎖が起き始めた日で,まともに考える余裕が無かった。
20代のころロシア史を熱心に勉強して,『ラドガに到着したリューリクと兄弟達』を希哲館素材絵画にしたり,虎哲と並ぶ新交通機関構想にリューリクをもじった「竜力」という名前を付けたりしていた私にとって,運命を感じる事件ではあった。
そして,あの英米政治危機から顕在化した自由民主主義の脆弱さが招いた結果だ。私に出来ることは,知識産業革命を成し遂げ,希哲民主主義を確立し,独裁者に付け入る隙を与えない,強い自由民主主義を作り上げることしかない。私にしか出来ないことでもある。
ジパング計画にもいよいよ猶予が無くなってきたが,もう麻痺しているのか,不思議と重圧感は無かった。