{あれ K#F85E/4686-75A5}宇田川浩行 強さ,といえば,希哲館事業を始めようという時,私はありとあらゆる危険を想定した。迫害・弾圧,貧苦,宗教や既得権益との衝突,各国情報機関や闇組織との闘い……私一人に対して現代世界の全てが敵だとしても,想像出来る限り最も残酷な殺され方をするとしても,私は闘える人間でなくてはならなかった。だから私は,希哲館事業発足からこの方,5年後に自分が生きている確信はずっと無い。
{あれ K#F85E/4686-2ACB}宇田川浩行 これまでの文章を読み返していて,子供時代の私は,親にとっては最悪の子供だなとしみじみ思った。こんな子供,自分の子だったとしても上手く育てる自信はない。
{あれ K#F85E/4686-B793}宇田川浩行 私が支持集めのための言論をしていないように見えるとしたら,簡単な話で,それは経営戦略・普及戦略上の手段として本命ではないから。私がものを書くのは,気に入ってもらうためではなく,ありのままの希哲館事業を知ってもらうためだ。気に入ってもらおうともらうまいと,ここに希哲館事業が存在する現実は何も変わらないし,その発展は誰にも止められない段階にある。
{あれ K#F85E/4686-AB51}宇田川浩行 物凄くぶっちゃけて言ってしまうと,言論の影響力を拡大したいと思ったら,本とか SNS で地道に支持者集めをするより,衝撃的な情報技術を開発する方が手段としてはるかに効果的だろう。嫌な言い方もしれないが,その手段さえ確保出来ていれば,好むと好まざるとにかかわらず,飲み込ませることが出来てしまう。希求主義のように,大きいというより異次元な思想体系ともなると,普及戦略はそれぐらいしかない。
{あれ K#F85E/4686-BD11}宇田川浩行 例えば(国公立)大学などに雇われていれば,商業主義の影響は低減出来るが,かわりに権威主義や机上の空論に陥いりやすい,という問題がある。在野精神と高い理想を共存させるためには,言論と技術,情報工学と希哲学の二刀流が必要になる。それを支えるのが「論理実装主義」だ。
{あれ K#F85E/4686-43A0}宇田川浩行 多くの比較的誠実な言論人は,このことを踏まえて必ず葛藤しているのだが,その結論は大体同じで,要は「それも現実なのだから仕方ない」というところに落ち着く。しかし,その「仕方」を見つけてしまったのが希哲館だ。
{あれ K#F85E/4686-1AC7}宇田川浩行 これは,「希哲館」という看板からして真剣に考えざるをえなかったことでもある。あまり語られることがないが,希哲学(フィロソフィア)という文化は,「ソフィスト」と呼ばれた,知を商売にしていた人々への批判から始まっている,という事実がある。これは西洋文化の最も重要な古典なわけで,それを知識層が知らないわけはない。だが,営利活動に依存している言論人・言論機関はこれを直視出来なかった。