希哲館事業これまでのあらすじ

描主宇田川浩行#F85E
上描き希哲12年(2018年)
11月01日 23:24
下描き希哲12年(2018年)
11月01日 14:41
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

ここ5ヶ月ほどの間,私は「希哲館事業総括」(第一次総括)と称して希哲館事業発足から約10年間の歩みを整理していた。

希哲館事業11年前の今日始まった。その目的は,看板の通り希哲学フィロソフィア)を紐帯とした新しい社会体制の構築を主導することにあった。といっても,知的権威主義反知性主義の対立が誰の目にも明らかなように顕在化し,世界に深刻な分断をもたらしたのはつい2年ほど前のことであり,それ以前に希哲館事業の意義を理解出来る者は少なかった。

発足当初の希哲館事業が見据えていたのは,「自由の先」だった。人類が曲がりなりにも「自由」を謳歌出来るようになったのはせいぜいここ半世紀のこと,それも世界の一部に過ぎない。それ以前には,不自由という外敵が自由世界を結束させていた。だから人は「何のための,誰の自由なのか」と問う必要は無かった。喩えるなら,鳥も魚も同じ不自由と戦っていたのだ。しかし,鳥にとっての自由と魚にとっての自由は異なる。不自由が敵でなくなった時,必ずその合い所アイデンティティ)が問題になる。そう考えた私は,自由の一歩先に踏み込んだ理念として「希哲」を掲げ,これに基いた新しい社会体制を構想した。この構想はやがて,政治経済はもちろん,あらゆる文化技術に及ぶ「新近代」の理論体系となった。

希哲学」は,古代ギリシャに由来するフィロソフィア(知恵を希求するの意)という文化に与えた私の訳語だが,日本では長い間「哲学」と訳されてきたものだ。フィロソフィアは,いわゆる西洋文明の影響力を通して全ての現代文明の源流となった文化であり,それは東洋の端にある日本とて例外ではない。フィロソフィアの歴史はキリスト教よりも長く,ヨーロッパ中世と呼ばれる時代にあった頃にはイスラム世界が担い手となったこともある。このようなフィロソフィアを私は「歴史の交差点」と呼び,多様な世界を調和させうる唯一の紐帯として見出したのだった。

フィロソフィアそのものの最大の意義は,ソクラテスの「無知の知」に代表されるように,自身を無知ながらも知恵を希求する者(希知者)と位置付け,当時の知的権威主義知者)と反知性主義反知者)を同時に批判したところにある。当然,思想や学問はソクラテス以前にもギリシャ以外にもあったわけだが,知識にあぐらをかいたり,知を敬遠したりと知的活動を停滞させがちな態度を巧みに批判し知的希求そのものに意義を与えたことが,その後の科学にも結びつき西洋文明の原動力となったといえる。

このフィロソフィアが極めて現代的な課題に適した知的態度であることに,なぜか当の欧米社会ですら気付いていないことに気付いた私は,この概念を中核に日本で事業を展開することを考えたが,問題は翻訳語だった。従来の「哲学」では権威主義的な響きが強く,正しく意図を表現出来そうになかった。とはいえ明治時代から使われている訳語であり,過去の文献に使われ過ぎていることや,「基礎的な考え」という軽い意味では一般に普及していることを考えると完全に捨てるのも惜しい。そこで,「哲学」の前身にあたる「希哲学」という訳語を,ソクラテス的な精神としての「希哲」と学問的蓄積としての「哲学」の併称語として再解釈することにした。これにより,「フィロソフィー」など借用語としてしかこの概念を表現出来ない欧米よりもむしろ柔軟な表現が可能になり,「希哲館」という名称が出来た。

この希哲の精神に基く諸実践の場として希哲館を中心機関に据え,それに付帯する事業の一切を含めて「希哲館事業」と呼んでいる。これは幕末薩摩藩で行なわれた産業近代化事業である「集成館事業」になぞらえた表現でもある。工業化近代化が表裏一体であったように,希哲館事業知識産業の体系的確立を「知業化」と呼び,これによる「新近代化」を実現することを主たる目的としている。

この十年,私は主に「輪郭法」と呼ぶ理論に基いて,情報技術の世界で XanaduWinFS 等に匹敵する最大級の応用技術(デルン)開発を単独で成功させ,すでに論組(プログラミング)言語応司OS)も独自に保有するに至っている。その他,新しい時代の日本語に相応しい多量翻訳語の創出,「新学」と呼ぶ諸々の学術研究など,細部を述べ始めると枚挙に暇がないが,要するに泥臭いぐらい具体的な仕事をしている。希哲館事業には比肩するものが無いほど高い理想があるが,決して夢想ではない。

希哲館事業の革新性は,希哲学(フィロソフィア)という現代における古典中の古典といえる文化を,脱工業化後の知識産業体系の確立という課題,そして,知的権威主義反知性主義の対立という課題に結びつけたところにある。そしてこの革新性が,奇しくもそのまま英米政治危機ブレグジット・トランプ当選)以後の世界の混迷に対する解答になっている。これが長年の沈黙を破って私が希哲館事業構想の全貌について語り出している理由だ。

私が希哲館事業について多くを語らなかった理由は,「一夜革命」(overnight revolution)と呼ぶ戦略にあった。希哲館事業営利企業として多くのことを達成出来るはずだったため,下準備を完璧に整えるまでは全貌を隠しておき,あと一押しで世界を変えられるという段階で全体構想を発表するつもりでいた。

これは,豊臣秀吉小田原城を攻める際,山の木々に隠れて築城を進め,城が完成したところで木を切り倒して敵を驚かせたという「石垣山一夜城」の故事にちなんだものだった。私にとって「難攻不落の敵城」というのはアメリカ合衆国を中心とする世界秩序であり,そこまでする必要を感じていた。ところが,そのアメリカが自壊を始めてしまった,というのがここ2年の状況だ。

事ここに至って私は,理想を失なった今の世界に必要なのはというよりも「避難所」なのではないか,と考え始めた。私が長年「知の肥満」と批判してきた現代の思想家たちはまともな仕事をしていないし,結果的にまだまだ不完全な希哲館事業構想が世界で一番マシという状況になってしまった。この期に及んで沈黙していることが希哲館事業の理念に照らして許されるのか,散々考えた。結局,知識層の「知の肥満」,そしてそれが生み出した新たな衆愚政治の象徴である「暗愚の枢軸」と同時に戦うことを希哲館としては表明するしかない,という結論に至った。

一ヶ月後の12月1日,希哲館は最も注力してきた技術であるデルンを一般公開することを約束しつつ,粗末ながらこの文章をもって「暫定一夜革命宣言」としたい。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.1号
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