数日前から何となく鎌倉の物件探しを再開したところ,そのまま希哲館「仮本館」に使えそうな貸家を見つけた。これをきっかけに,希哲館事業構想について色々なことを考え込んでしまった。
希哲館は本来,建築構想でもある。あらゆるものが仮想化されつつある世界にあって,最も強い現実として事業の理想を具現化したいという思いが「希哲館」という命名には込められていた。
希哲館事業発足から間もなく鎌倉を本拠地にすることを決め,鎌倉文学館やモン・サン=ミシェル等を模体に,日本建築とギリシャ建築を融合した独自の建築様式を構想していた。木立に囲まれた山の上に大きな庭園と小さな屋敷があり,その下には巨大な地下施設が広がっている……それが希哲館本館,希哲社本社の理想像だ。それは一つの建築から都市になり国家になり,やがて世界になるはずだった。
しかし,そんな理想を現実のものとするには少なくとも数百億円の資金が要る。実現の見通しも無く,「希哲館」は常に仮想空間だった。その仮想の館の仮想の庭がつまり「月庭」だ。
例の物件は,長年思い描いていた希哲館本館と執務長公邸の中間に近い規模,雰囲気は想像通りという感じで,少し運命的なものを感じた。この物件が実際に使えるかどうかはともかく,理想にこだわらなければ「希哲館仮本館」が出来るのは意外とすぐかもしれない,と思えた。
そう思ってみると,デライトの背景でもある「希哲館」という概念は今のところ他人には雑音でしかない,ということが目の上のたんこぶのように気になってくる。私の頭の中にだけある理想像としての希哲館は,ほとんど誰にも伝わっていないだろう。仮にでも現実の形にすれば,この状況は大きく変わりそうだ。
そしてもう一つ,持ち辺に新たな燃料が注ぎ込まれたようにも感じた。完璧主義・理想主義にとらわれて手をのばす気すら失せていたことが,何かのきっかけで割り切れるようになり,結果的には満足出来た,ということが最近よくある。Dex が好例だが,これもその一つになるかもしれない。そう思えば頑張って手をのばしてみるしかない。