{あれ K#F85E/5B28-9222}宇田川浩行 ソーシャル ディスタンシングを「社会的距離」とするようなぎこちない翻訳語を見ると,現代日本語における翻訳文化の限界への焦りと,それでも翻訳を試みただけ偉いという気持ちとで複雑な気分になる。
{あれ K#F85E/5B28-45A6}宇田川浩行 私が「第一次大翻訳時代」と呼ぶ江戸時代後期から明治時代頃にかけての翻訳文化が成立した背景には,知識層の圧倒的権威があった。一握りの知識人が外来語に触れ,それを翻訳して学界から人口に膾炙していく。その知識人もほぼ漢籍に通じていたので,漢語訳語が多数生まれた。
{あれ K#F85E/5B28-560B}宇田川浩行 もちろん,外国文化への関心が無ければ翻訳しようとすら思わないわけで,外国文化から学ぶ姿勢と自文化を尊ぶ姿勢が両立したところにしか良い翻訳文化は生まれない。その調和が今の日本では崩れているのかもしれない。
{あれ K#F85E/4686-29F4}宇田川浩行 翻訳文化に必要なのは,「自文化の主体性を保ちながら異文化に学ぶ」という難しい態度で,傲慢になりがちな時の超大国でも,自文化を育む余裕のない発展途上国でも翻訳文化は発達し辛い。かつての日本はその態度を持っていたのだが,悲しいかなその意味では発展途上国に近付きつつあるのかもしれない。