{図画的利用者界面 K#D657/CED5}B̅(29){GUIとCLIにおける優先する対象の違いとそれがもたらす輪結の利不便性}{〈7guis〉}{XML篩子を活用してDocBookのGUI編集を実現したい}{択部(タクブ)}{PowerShellによるWindows用GUI構築}{機器の方向に基づいた音量釦の挙動}{Surface Go 3の音量調整釦の役割を機器の向きによって適宜定める}{WindowsのGUI字揃を少しでも綺麗にする}{〈Mouse without Borders〉}{〈SerenityOS〉}
{あれ K#F85E/5B28-16D2}宇田川浩行 特別定額給付金の申請書,GUI のチェックボックスならまだ出放り(デフォルト)でチェック済みにして,要らない人は外す,という感じに出来たのに。紙の用合い(UI)は難しいな。
{あれ K#F85E/5B28-B247}宇田川浩行 Mac が Windows 機よりはるかに美しかった時代があるのは認めざるをえないが,たぶん,伝統的 GUI における「モノの比喩」が時代とともにどんどん陳腐化してきているのだと思う。今の macOS と Windows を比べると,macOS の方が「ごちゃごちゃ」感がある。
{あれ K#F85E/5B28-EC64}宇田川浩行 私の輪郭法はデルンとなり知機(knower)となり,勘報(計算機)科学における半世紀の歴史を更新する,とは言っているが,実際,アラン・ケイの客体(オブジェクト)指向 や GUI を輪郭指向と SUI で,テッド・ネルソンのハイパーメディアをシンメディアで,ドナルド・クヌースの文芸的論組(プログラミング)を希哲学的論組で更新しようとしているんだな……。 (1){あれ}
{あれ K#F85E/4686-D932}宇田川浩行 これが進んでいくとどうなるのかと言うと,これまで常識だった GUI がまず根底から変わらざるをえなくなる。フォルダのような入れ物の関係で出与え(データ)を把握する意味がなくなり,「モノの比喩」の整合性が破綻するからだ。それに代わる体系として希哲館が研究してきたのが,以前もちょっと触れた SUI(symbolic user interface)だ。
{あれ K#F85E/4686-5E17}宇田川浩行 今日は Cμ で X11 論組(プログラミング)。昨日作った駒触れ(コマンドプロンプト)通知機能と連動する通知論組を作りつつ,API の整備。このあたりもかなり洗練されてきて,C++ 互換でありながら HSP 並の気軽さで GUI を書ける脅威の環境が出来つつある。
{あれ K#F85E/4686-BA31}宇田川浩行 さらに言うと,CLI と API の不整合も問題だと思っている。CLI で簡単に利用出来る機能が,論組(プログラミング)言語の中ではやたら面倒臭いということがある。API 化,CLI 化,GUI 化と段階的に実装を進めていけばこういう問題は無くなるはず。