子供を利用する鳴中(メディア)たち

描主宇田川浩行#F85E
上描き希哲8年(2014年)
11月29日 21:32
下描き希哲8年(2014年)
11月29日 18:20
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

このごろ,鳴中メディアに「若者」という言葉が溢れているのが気になる。

ネットで容易に発言の機会を得られるようになったこともあるだろうが,特に,社会に対する主張を持っている子供というのは珍しさもあって注目されることが多い。だから鳴中も群がって彼らをネタにしようとするのだが,やはりそこは自制心が必要だ。

一人で社会に訴えかける力を持っていない若者が,大衆鳴中マス メディア等に出て何らかの主張を行なっているということは,当然,それなりの地位にある大人たちの手を借りていることになる。そういった若者たちは,彼らを支持する大人たちを代表しているのであって「若者の代表」では決してない。そもそも「若者の代表」という言葉自体,オヤジたちの願望と厚かましさの象徴のようで,若者の感性を全く感じさせない。

だから,彼ら「若者」の主張は普通の大人たちと同様,真剣に検討・批判される対象でなくてはならない。そうでなければ,大人たちは自分に都合の良い「若者」を使って間接的な主張を行い,「若者」を盾に批判を回避できることになってしまう。悲しいかな,そういう卑劣な手段がまかり通ってしまっているのが日本の鳴中の現実だ。そこに良心がない方がまだマシかもしれない。どちらかといえば,それを見抜く知性に欠けていることこそ社会の重病という気がする。

本当に若者の声を聞きたいなら,足を使って,様々な立場の若者から平等に話を聞くのが当たり前だが,現実には,そこまでする鳴中の方が奇特だ。多くの鳴中は,都合の良い主張をしてくれる若者を「若者の代表」と祭り上げて,彼らを手頃な商品にしてしまう。志の低さに他人ごとながら情けなくなってくるが,こういう連中が多すぎる。

ときどき,年端もいかない若者が手厳しい批判にあって,精神的に傷つくこともある。その時に,「若者に厳しい」と責められがちなのは批判者だが,実はもっとも責任が重いのは若者を矢面に立たせた人々だ。連中は,若者,特に子供が責められにくいということを承知の上で利用しているが,それを知っている人間はむしろ心を鬼にして批判しようとする。もちろん行き過ぎて中傷になればやった方に非があるが,正当な批判は「子供を利用するな」という,背後の大人たちへの痛烈な批判なのだ。

戦争では,少年が兵士として使われることがある。この場合,非難されるのは完全に使用した側だ。国際法でも少年兵の使用を禁じることは多いが,敵の少年兵を攻撃するなとは言われない。少年であることを戦場で特権に出来るのであれば,少年そのものが戦闘員の域を超えて「特殊兵器」になってしまうからだ。生々しい戦いの現場ではこれが自明のことだ。だから,葛藤があっても大人は少年に向けて引き金を引く。重要性において決して戦争に劣るものではない言論の場でも,これとよく似た構図で子供が利用されているが,ここまで想像力を働かせる者はまだ少ない。

私は,こういった観点からその手の「若者」をまず好意的には取り上げない。日本の鳴中関係者も,卑しい手段に頼らず,もう少し志を高くもって仕事をしてほしいと思う。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.1号
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