データは泥体

描主宇田川浩行#F85E
下描き希哲10年(2016年)
04月10日 20:21
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

データ〈data〉というのはに似ている。型が無く,その中から砂金のように価値あるものが取れることもあるが,見極め方を誤ると身を汚すだけに終わってしまう。「データ」は一般に分析解釈意味付け)の対象となる資料として狭義の「情報」とは区別される。人は泥に溺れるようにデータに溺れることがよくある。

私は,以前からこの「データ」を訳すのに「(でい)の字を使うことを考えていた。確か,「泥多し」の意で「泥多(でいた)という当て字に近い訳語を思いついたのが始めだった気がするが,間もなく淘汰の字を使って「泥汰」と書くようになった。汰の字には「より分ける」という意味がある。しかし,どうも字面が気に入らなかった。の字が流石に泥臭いからか事務的に使いにくい。ただ,複合語に当てる場合は泥の一字で略すと良い感じになることが多い。データベースDBを「泥母(でいぼ)データ型を「泥型(でいがた)と訳すのは気に入っていた。しかし,泥の一字を単独でデータの訳とするのは難しい。一見して「どろ」としか読めないだろう。

しばらくこの問題は保留していたのだが,ついこの前ふと「泥体(でいたい)という訳語を思いついて一気に解決した。「〜体」は形あるものを漠然と表現するのに幅広く使われているため,語感を調整するのに役立つことが多いのだが,不思議と思いつくのに時間がかかった。しかし,これで泥の字の泥臭さが大分薄まり,事務的にも技術的にも使いやすくなった。

これが本当の「泥より出でて泥に染まらず」

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.1号
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