テレビにおけるネットの援用について思うこと

描主宇田川浩行#F85E
上描き希哲10年(2016年)
09月08日 14:58
下描き希哲10年(2016年)
09月08日 00:29
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

このごろ,日本のテレビ番組ネット情報を紹介するものがよく目につく。特に多いのが,Twitter 等からいわゆる「一般人の意見」とか「視聴者の意見」という見解を拾って見せるものだ。これは実質的に「開かれた中立公正な番組」を演出するための手法と言っていい。まず間違いなく事前に内容を選り分けているので,その時点で本質的に「ネットの声」とは言えないのだが,どうも制作者側も視聴者側もそれに無自覚過ぎる気がする。

テレビの情報をそのまま引用している多くのネット媒体もたいがい無能だとは思うが,テレビを援用するネット,ネットを援用するテレビは決して対称的な関係にはない。テレビに限らず,マスメディアが情報を選別している以上,それはあくまでも一方的な「マスメディアの声」でしかない。ところが,ネットを援用することでマスメディアはその印象をずいぶん和らげることが出来る。ここに危険性が潜んでいる。批判されにくい子供を使い,「若者の見解」などと称して大人に都合の良いことを喋らせる危うさによく似ている。

ネット情報の読み方というのは難しく,「ネットではこんな意見がある」という主張も記事によって正反対の内容になっていることがある。人間は自分に都合の良い情報を収集してしまうところがあり,ネットというのはその多様性を許容するところに媒体としての特徴がある。ゆえに「ネットの声」というのはしばしば「自分に都合の良い声」になってしまう。それをマスメディアが無自覚に利用していることの危険性・欺瞞性というのはもう少し考えられた方が良いのかもしれない。

こうした問題の背景には,テレビ離れ新聞離れといったマスメディア離れによる「業界の貧困化」がある。情報番組では「数字」の源泉は情報の信頼性だ。業界の将来性が不透明化し優秀な人材も掴みにくくなっている中でそれを補強しようとすると,「若者」やら「ネット」やらを安易に利用する方向に走ってしまう。最近,情報番組の出演者の経歴詐称が大きく取り沙汰されることがあったが,これも貧すれば鈍するというべきか,「見かけ」の先に思考を巡らせる余裕が無くなっている証左だろう。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.1号
制作・運営:希哲社
© Kitetu 1-10 (2007-2016) KiTetuSha