最近,アジアの想品〈ソフトウェア〉開発がさほど成長していないことが気になる。これまで,個人的に日本対アメリカという構図で捉えることの多かった想品開発だが,日本における想品開発の課題というのは,実はその多くがアジア,特に東アジアの課題だったのかもしれない。
アジアにおいてアメリカに対抗出来る唯一の経済大国であった日本が後退し,中国を筆頭にアジア経済全体が発展し,アジアの情報産業にもそれなりの歴史が出来た。その中で,「日本の課題」だったものが「アジアの課題」として浮かび上がってきた。
それを感じたのは,日本の IT 業界における韓国資本の強さだ。ソフトバンクにせよ LINE にせよ,突出した日本の IT 企業に韓国系の人材や資本が絡んでいる。生々しい表現が目立つ韓国映画などを観ていても思うが,日本人と比べると韓国人はやはり闘争心が強く大胆だと感じることが多い。ただ,それでも「アメリカの真似」の域を越えないのが日本の IT 企業であり,アジアの IT 企業だ。ソフトバンクも LINE も日本では突出しているが残年ながら世界的に突出した企業ではない。
想品開発において日本・韓国・中国はそれぞれに文化的な課題を抱えている。日本には主体性と多様性が無さすぎるし,韓国は情熱的なのは良いとしても儒教的な価値観に捉われすぎている。中国は広大で多様性もあるが,それを活かせる政治体制ではない。共通して言えることは,しがらみが多すぎるということだ。ヨーロッパ諸国もアメリカには劣るものの革新性のある企業は少しづつ生まれている。その点でアジア諸国が遅れているのは,ジャレド・ダイアモンド風に言えばアジア諸国が統治に成功し過ぎたせいなのかもしれない。統治のためのしがらみが革新の障害になってしまっている。