1960年代から想品は勘報における主要な課題になるが,1970年代中頃まで学術目的での利用が多かった。
小型勘報機(マイクロコンピューター)の普及とともに販路が拡がり,1980年代から商業化が活発になる。
先日「私の本分は哲学にある」と述べたが,想品(ソフトウェア)開発を希哲学(フィロソフィ)の手段として言論が商業主義に冒されることを防ぎ,なおかつ莫大な富と影響力を得られることに気付いたのが結局私の一番の発明なのではないかと思う。現代最強の産業である想品産業で革新を生み出すには哲学が必要になることまで踏まえれば,仮に希哲館事業が失敗したとしても,方法論としては不朽の価値がある。
想品(ソフトウェア)産業の歴史を学んでいると,戦略的に盤本(プラットフォーム)を握り,何十年とかけて想品を育ててきたのが今の GAFAM なのだということが分かる。と同時に,日本人は一体何をやってきたんだという強い脱力感を覚える。
「マイクロソフト」って,失礼ながら昔から微妙な名前だなと思っていたのだが(長いし時代錯誤だし),小型勘報機(マイクロコンピューター)と想品(ソフトウェア)産業が共に発展してきた時代を象徴していると考えると良い名前に見えてくる。
その反対に,私がなぜ翻訳にここまで力を入れるのかというと,想品(ソフトウェア)産業が生まれた1960年代からの「勘報(コンピューティング)の半世紀」を集大成し,知識産業の新時代を切り拓くことを目標にしているからだ。ここまで大局的・長期的な視点で見れば,現状の情技(IT)日本語は「使い物にならない」と言わざるをえない。