「SEO」を「SEE」へ

描主宇田川浩行#F85E
上描き希哲10年(2016年)
12月25日 01:59
下描き希哲10年(2016年)
12月24日 23:58
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

インターネットワールド ワイド ウェブが普及する中で,ロボット型検索演心〈エンジン〉というものが台頭してもう20年近くが経とうとしている。情報をより良く評価させるための検索演心対策が「SEO」(検索演心最適化)として組織的に行なわれるようになり,機械的な情報評価の限界も露呈しつつある中,私は『月庭』の SEO を「SEE」へ,すなわち「検索演心啓蒙〈search engine enlightenment〉へと発展させようとしている。

SEO の黄昏

インターネットにも,その上に成り立つウェブのような多くのサービスにも特定の中心的な提供者は存在しない。無数のサービス提供者がゆるやかに繋がって全体を構成しているのがインターネットの世界だ。ロボット型検索演心は,この混沌とした世界で星の数ほどある情報を機械的に評価して人間に提供している。私はこのようなロボットの役割はやがて「ローボッド〈rawbod〉,つまり「ロボットのような生身の人間」が担うようになると予測しているが,現状ではウェブ情報の価値の多くをロボットが決定している。このロボットの仕様を決めているのはもちろん人間である開発者だが,その意図が正しく実装と挙動に反映されているとは限らない。

このような世界になれば当然,どうすればロボットに気に入られるか,ということが商業的に重要な問題となってくる。SEO はその要請に応えようとする試みであり,常にウェブにおける議論の種だった。「SEO 業者」と言えば,ウェブ関係の業者の中でも特に胡散臭いものとされている。それは例えば「コンサルタント」と聞いて身構える人が多いことに似ていて,良い業者と悪い業者の差が極端に大きく,さらに良い業者が稀少なのだ。全てが無益なら放っておいても消えていくだけだが,これが困ったことに,巧妙な業者は実際に大きな利益を生み出す。これだけ弊害が認識されながらも需要は確実にあり,業者はしぶとく生き残っている。

SEO とは,好意的に捉えれば「検索演心と正しく協調すること」だ。検索演心のロボットでも正しく情報を認識出来るようにウェブサイトを設計したり,検索演心に対して付加的な情報提供をする。これによって,検索演心は良質な情報を集めることが出来,検索者は良質な情報を見つけることが出来,サイト運営者は相応の集客をはかることが出来る。これが SEO の理想だ。しかし,現実には「検索演心を騙すこと」につながりやすく,その善悪の境界線も曖昧だ。誰でも自分の作る献典コンテンツ〉は良いと思いたいもので,自己評価はしばしば客観的な評価を大きく上回る。しかも,評価をするのがロボットなのだから,検索結果に対する不満と不信は尽きることが無い。結局,現在のウェブはこのエゴに翻弄されているのだ。

Google が没落する時」という文章でも書いたように,私はロボット型検索演心の役割はそろそろ終わりを迎えると見ている。当然ながら従来型の SEO も運命を共にするだろう。

SEE の夜明け

この『月庭』というウェブサイトは,いまどき珍しく SNS など外部のサイトと連携せず,孤島のように存在している。そこに検索演心のロボットが,鳥のようにやってきては情報を広めてくれているわけだ。一次的な集客経路が検索流入のみであるため,一般的なサイトと比べて検索演心への依存度は高い。

その一方で,従来型の SEO に対しても一定の距離を置いてきた。このサイトはブログでもなくウィキでもない「デルン」という完全に独自の情報形式を採用しており,更に「全知検索」という,ディレクトリ型でもなくロボット型でもない独自の検索演心を内蔵しているかなり奇天烈なサイトであるため,従来の検索演心の考え方に必ずしも合わない部分があり,SEO に対しても独自の課題を抱えている。

この『月庭』独自の SEO を,私は最近「SEE」と呼んでいる。SEE は,SEO と対立する概念というよりは,いわゆるホワイト ハット SEO の一種というべきものだろう,と現時点では考えている。

これまでの SEO というのは,知識的には雑学に過ぎず,それを場当たり的に応用するものだった。それに哲学的な基礎と科学的な実践を加え,いわば「検索演心学」の応用として SEE を位置付けたい。外部の検索演心とは独立した検索に関する構想と技術を保有している希哲社ならではの取り組みになるだろう。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.1号
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